第28回伊豆文学賞に応募した作品その2です。
マーモットは大型のネズミで、食欲旺盛で、警戒心が薄く、両手でせんべいを持って食べる姿はなんともかわいらしいです。
このマーモットを日本で見られるのは「伊豆サボテン公園」だけです。
ここからどう話を作るかですが……
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は4/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
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『マーモット』 齊藤 想
札幌の街に、粉雪がちらつき始めた。
誕生日のディナーは、哲也の心無いひとことで台無しになった。前菜のサラダを食べている恵梨香に向かって、笑いながら、こういい放ったのだ。
「その食べっぷり、まるでマーモットみたいだね」
マーモットなら知っている。ネズミの仲間で、出っ歯で、太っていて、極端に食い意地が張っている。だから、エサをチラつかせるだけで簡単に捕まえることができる。
女性に向けていい言葉ではない。相手が大切なひとなら、なおさらだ。
恵梨香は、フォークを平皿の上に置いた。
「マーモットで悪かったわね」
「気分を害したのなら謝るよ」
哲也は何が悪いの、という感じで笑っている。ここまでデリカシーのない男性だとは思わなかった。恵梨香は落胆した。
「ごめん、食べる気がなくなった。もう帰るね。さようなら」
「どうしたんだよ、ちょっと待てよ。このお店予約するの大変だったんだぜ」
「それなら哲也が食べなさいよ。哲也が大好きなマーモットのように」
恵梨香はテーブルにひとり分の代金を置くと、振り返ることなく店から飛び出した。
路上で、恵梨香はショーウィンドウに写る姿に肩を落とした。マーモットのような出っ歯、マーモットのような下腹、さらにはマーモットのような旺盛な食欲に、休日にはマーモットの冬眠のような惰眠。
確かに恵梨香はマーモット。容姿も性格も生活習慣も全てがだらしない。
対する彼氏は真面目な会社員だ。知り合ったきっかけは地元の動物園だ。売店でバイトをしていたところ、ナンパ目的の大学生グループがやってきた。
もちろん恵梨香が目当てではない。バイトの同僚に、アイドルと見間違うようなかわいい子がいた。大学生たちは、その子の気を引こうと必死になっていた。
大学生たちが、その子にグループで遊びに行こうと持ち掛けているときに、恵梨香にそっとメールアドレスを渡してきたのが、いまの彼氏の哲也だ。
恋愛には縁のない人生だとあきらめていた恵梨香は有頂天になった。哲也は見た目はぱっとしないし、服装のセンスも悪い。哲也はグループ内の引き立て役であり、人数合わせに過ぎないことは明らかだった。
だからこそ、哲也は同じ匂いを感じる恵梨香にアタックをかけたのかもしれない。ものの見事な、負け犬同士の組合せ。
それでも、恵梨香はかまわなかった。恋愛をしていることに酔っていた。
そして、今日は交際三年目のディナー。プロポーズの期待は見事に裏切られた。
少しは別れの予感があった。
二人とも社会人になり、哲也は一流商社に入社してビジネスの最前線で活躍している。対する恵梨香は、地元企業でアルバイトの延長のような事務作業を続けている。哲也の会話についていけないことも増えた。
それに、交際三年目なのに一度も体の関係がない。泊りがけの旅行すらない。哲也は恵梨香のことを肉体関係を持ったらめんどくさい女と思っているのかもしれない。
だから、遠回しに恵梨香を傷つけて、交際を自然消滅させようとしている。学生時代は二人とも負け犬。だけど、いまは二人の立場に埋めようのない格差が生じている。
恵梨香は店の外で泣いた。いつか、こうなることは分かっていたはずなのに。私は負け犬。いや、負けマーモットか。
路上で泣いている恵梨香に、哲也が追いついてきた。
「急にどうしたんだよ。本当に深い意味はなかったんだよ。ただ、単純にマーモットが可愛いと思っていただけなのに」
「気休めなんていらないわよ。だって、マーモットのどこが可愛いのよ」
「そりゃ人懐っこいし、仲間思いだし、それに大家族でいつも楽しそうだし。ぼくと恵梨香も、そうなれればいいなと思って」
「えっ、それってどういうこと?」
恵梨香は顔を上げた。哲也はどこか恥ずかしそうな顔をしている。
「ところで、恵梨香は日本でマーモットを見られるのは伊豆サボテン公園だけと知ってる? 一度、行きたいと思うんだよね」
「ここは札幌よ。日帰りは無理よね」
「だから二人で一泊してさ。二人で温泉でもゆっくりと入って、それからいろいろな話をして……。もちろん休暇を合わせてさ」
言葉の端から、少しおどけた表情から、哲也の愛情が溢れてくる。恵梨香は泣いた。今度は別の意味で。
「私、これからもマーモットでいるから」
恵梨香は哲也の胸に飛び込んだ。哲也の胸は、心地よく温かかった。
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2025年03月10日
2025年03月03日
【掌編】齊藤想『仇討ち温泉』(ChatGPT_88点)
第28回伊豆文学賞に応募した作品その1です。ミステリ仕立ての時代劇にチャレンジです。
ベースになったのは、山本周五郎の短編『ひとごろし』です。弱い侍がやむなく仇討に出る話で、仇とまともに戦っては勝てないので、遠くから「ひとごろしだ~」と言い続けて、仇を精神的にまいらせるというストーリーです。
この短編ですが、ラストがまだ素晴らしいです。
本作は山本周五郎作品の主人公を写し取りながら、ストーリーを変更しています。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は3/5発行です。
※本作の解説は4/5発行のメルマガで紹介します。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
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『仇討ち温泉』 齊藤 想
こんなに賑やかな温泉地で、親の仇に会うとは思いもしなかった。赤堀三之亟は湯煙の向こう側から近づいてくる大柄な男性に気がつくと、慌てて湯船に沈み込んだ。
こんなはずではなかった。
仇討ちといっても、三之亟が望んだことではない。三之亟の父親は酒乱で、たびたび刃傷沙汰を起していた。
父親の死因もあっけない。旅先で酒乱仲間と騒ぎ続け、路地を右に行くか左に行くかというどうでもいいことで口論となり、斬り合いに発展した。旅先ということもあり、死体は戻ってこなかった。
父親から愛された記憶のない三之亟としては、清々したというところだが、困ったことに下手人が行方をくらましてしまった。
おかげで会う人々に「いつ仇討ちにいくのか」と聞かれ続ける始末。
赤堀家は代々勘定方を勤めている。三之亟の得意技はもちろんそろばんで、剣術はからっきしダメだ。体の調子が悪いとか、大事なお役目があるとか、下手人の行方が分からないからとごまかし続けていたが、興味本位の殿様まで乗り出してきた。
「三之亟の仇討ちのために、なんとしても下手人を探し出せ」
殿様の一喝に、家中のだれがも下手人探しにやっきになった。
まさにありがた迷惑だ。
とはいえ日本は広い。そう簡単には見つからないだろう。そう高を括っていたら、ひと月もしないうちに下手人が発見された。
「下手人は刀傷を負い、伊東温泉で湯治をしている模様です」
殿様は大興奮だ。
「父の仇討ちを果たせば、わが藩にとって名誉なことである。成功を祈っているぞ」
三之亟は多額な金銭を下賜され、おまけに出陣式まで開催されてしまった。
こうなると後には引けない。
三之亟は仕方なく藩を後にした。東海道をゆっくりと下り、小田原宿から伊豆方面に分岐してからも頻繁に休む。
ここまで時間をかければ、さすがに下手人も逃げているだろう。殿様からの下賜金で温泉を楽しみ、名物を食べ、七福神巡りを楽しんでから帰国しよう。
最後の仕上げに温泉と思っていたら、親の仇が裸で現れたのだ。しかも下手人はわざわざ三之亟に近づいてくる。
「そこにいるのは三之亟ではないか。こんなところで会うとは奇遇だなあ。三之亟も湯治にきたのか」
奇遇も何も、仇討ちのためにここまで来たのだが。男は陽気に話し続ける。
「三之亟の父上はお酒だけでなく温泉も好きでなあ、よく近隣の温泉を泊まり歩いたものだ。そのあげくに、強い温泉に長湯しすぎて湯あたりして重体になって」
そんなこともあったのか。三之亟は父の酒乱を嫌い、交流を避けてきた。親不孝だったと、後悔の念が浮かぶ。
「最後の言葉は、柔らかな伊東温泉にすればよかった……だ。父上らしい最後だよな」
「ちょっと待て。父は口論の末に切り殺されたのではないのか」
「だれがそんなことを」
親の仇は目を白黒させている。
「はあ、分かったぞ。三之亟は赤堀家が握っている勘定方を奪おうとする悪人に騙されたのだ。なにしろ、勘定方は才覚一つで利得が大きいからな」
「父は酒乱かもしれないが、そんな薄汚れた人間ではない。無礼なこと言うな。この場で叩き斬るぞ」
「ひとの話は最後まで聞け。父上がたまたま旅先で死んだことをいいことに、藩内にあることないことを吹聴し、仇討ちを名目に息子まで追い出そうとする悪人がいるのだ」
「そなたの言説には証拠がない」
「三之亟は本当に父上から何も聞いていないのか。いままで父上は何度も暴漢に襲われたのだぞ。すぐに旅に出るのも、暴漢から身を隠すためだったのに」
三之亟の頭の中で、全てが繋がった。
帰国した三之亟は、殿様に言上した
「ただいま親の仇を討ってまいりました。これがその証拠でございます」
三之亟は手にしていた壺の中身を、殿様自慢の庭園にぶちまけた。中には父が湯あたりした温泉が入っている。
「殿様にお願いがあります。父と人傷沙汰があった相手をお調べください。父を襲うように命じた者がいるはずです。本当の仇は別にいます。真の仇が判明次第、いますぐこの手で成敗いたします」
そう告げると、殿様は困った顔をした。
本当の仇を討てないのが、三之亟には何より心苦しかった。
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ベースになったのは、山本周五郎の短編『ひとごろし』です。弱い侍がやむなく仇討に出る話で、仇とまともに戦っては勝てないので、遠くから「ひとごろしだ~」と言い続けて、仇を精神的にまいらせるというストーリーです。
この短編ですが、ラストがまだ素晴らしいです。
本作は山本周五郎作品の主人公を写し取りながら、ストーリーを変更しています。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は3/5発行です。
※本作の解説は4/5発行のメルマガで紹介します。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
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『仇討ち温泉』 齊藤 想
こんなに賑やかな温泉地で、親の仇に会うとは思いもしなかった。赤堀三之亟は湯煙の向こう側から近づいてくる大柄な男性に気がつくと、慌てて湯船に沈み込んだ。
こんなはずではなかった。
仇討ちといっても、三之亟が望んだことではない。三之亟の父親は酒乱で、たびたび刃傷沙汰を起していた。
父親の死因もあっけない。旅先で酒乱仲間と騒ぎ続け、路地を右に行くか左に行くかというどうでもいいことで口論となり、斬り合いに発展した。旅先ということもあり、死体は戻ってこなかった。
父親から愛された記憶のない三之亟としては、清々したというところだが、困ったことに下手人が行方をくらましてしまった。
おかげで会う人々に「いつ仇討ちにいくのか」と聞かれ続ける始末。
赤堀家は代々勘定方を勤めている。三之亟の得意技はもちろんそろばんで、剣術はからっきしダメだ。体の調子が悪いとか、大事なお役目があるとか、下手人の行方が分からないからとごまかし続けていたが、興味本位の殿様まで乗り出してきた。
「三之亟の仇討ちのために、なんとしても下手人を探し出せ」
殿様の一喝に、家中のだれがも下手人探しにやっきになった。
まさにありがた迷惑だ。
とはいえ日本は広い。そう簡単には見つからないだろう。そう高を括っていたら、ひと月もしないうちに下手人が発見された。
「下手人は刀傷を負い、伊東温泉で湯治をしている模様です」
殿様は大興奮だ。
「父の仇討ちを果たせば、わが藩にとって名誉なことである。成功を祈っているぞ」
三之亟は多額な金銭を下賜され、おまけに出陣式まで開催されてしまった。
こうなると後には引けない。
三之亟は仕方なく藩を後にした。東海道をゆっくりと下り、小田原宿から伊豆方面に分岐してからも頻繁に休む。
ここまで時間をかければ、さすがに下手人も逃げているだろう。殿様からの下賜金で温泉を楽しみ、名物を食べ、七福神巡りを楽しんでから帰国しよう。
最後の仕上げに温泉と思っていたら、親の仇が裸で現れたのだ。しかも下手人はわざわざ三之亟に近づいてくる。
「そこにいるのは三之亟ではないか。こんなところで会うとは奇遇だなあ。三之亟も湯治にきたのか」
奇遇も何も、仇討ちのためにここまで来たのだが。男は陽気に話し続ける。
「三之亟の父上はお酒だけでなく温泉も好きでなあ、よく近隣の温泉を泊まり歩いたものだ。そのあげくに、強い温泉に長湯しすぎて湯あたりして重体になって」
そんなこともあったのか。三之亟は父の酒乱を嫌い、交流を避けてきた。親不孝だったと、後悔の念が浮かぶ。
「最後の言葉は、柔らかな伊東温泉にすればよかった……だ。父上らしい最後だよな」
「ちょっと待て。父は口論の末に切り殺されたのではないのか」
「だれがそんなことを」
親の仇は目を白黒させている。
「はあ、分かったぞ。三之亟は赤堀家が握っている勘定方を奪おうとする悪人に騙されたのだ。なにしろ、勘定方は才覚一つで利得が大きいからな」
「父は酒乱かもしれないが、そんな薄汚れた人間ではない。無礼なこと言うな。この場で叩き斬るぞ」
「ひとの話は最後まで聞け。父上がたまたま旅先で死んだことをいいことに、藩内にあることないことを吹聴し、仇討ちを名目に息子まで追い出そうとする悪人がいるのだ」
「そなたの言説には証拠がない」
「三之亟は本当に父上から何も聞いていないのか。いままで父上は何度も暴漢に襲われたのだぞ。すぐに旅に出るのも、暴漢から身を隠すためだったのに」
三之亟の頭の中で、全てが繋がった。
帰国した三之亟は、殿様に言上した
「ただいま親の仇を討ってまいりました。これがその証拠でございます」
三之亟は手にしていた壺の中身を、殿様自慢の庭園にぶちまけた。中には父が湯あたりした温泉が入っている。
「殿様にお願いがあります。父と人傷沙汰があった相手をお調べください。父を襲うように命じた者がいるはずです。本当の仇は別にいます。真の仇が判明次第、いますぐこの手で成敗いたします」
そう告げると、殿様は困った顔をした。
本当の仇を討てないのが、三之亟には何より心苦しかった。
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2025年02月24日
【SS】齊藤想『スタントマン』(ChatGPT_92点)
ネタの考えかたは先週の『人材斡旋』と同じです。演技をするのに顔もクレジットもされない裏方、スタントマンをテーマにしてみました。
キャラを考える際に、「尖り」をつけると物語を進めやすくなりますし、オリジナリティが増します。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
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『スタントマン』 齊藤 想
このドラマは、水谷陽一郎の四十年にも渡るスタントマン人生の集大成となるはずだった。
タイトルは『赤穂浪士忠臣蔵』。古くから何度も映像化された、日本人なら誰もが知るストーリーだ。世界的な動画配信サービス会社が資金を提供し、大々的に世界に向けて配信する計画だという。
監督はリアルさを追求する井村誠司。井村監督は浅野内匠頭が切腹するシーンで、本物の刀を使いたいと希望した。
俳優を傷つけたら大ごとだ。切腹シーンにはスタントマンが必要。ということで、陽一郎にオファーがきたのだ。
陽一郎は決心した。切腹シーンは演技ではなく、実際に腹を切ってやろう。このシーンで、水谷陽一郎の名前を世界に知らしめるのだ。
陽一郎は、切腹シーンの練習を始めた。
まずは小型ナイフを目立たない脇腹に刺してみる。けっこう痛い。鎮痛剤で我慢できるレベルではない。部分麻酔をすれば良いのかもしれないが、感覚が無くなると演技に支障が出る。
陽一郎はスタントマンなので顔はでない。しかし、痛みをこらえる体の動き、肌の歪み、皮膚の痙攣の全てが、このワンシーンのために必要なのだ。
結局のところ、痛みに慣れるしかない。かといって、大事な腹を傷つけるわけれにはいかない。
陽一郎の年齢は六十に手が届こうとしている。だが、スタントマンとして日々筋力トレーニングを続けているので、肉体の美しさでは若手に負けない。
下腹を奇麗なまま保つために、陽一郎は太ももにナイフを突き刺して、痛みに慣れる練習をすることにした。
細い針から初めて、次に小型ナイフ、さらには包丁と、徐々に大きくしていく。長年連れ添った妻は、風呂場で体を傷つけている夫を見て「自殺しようとしている!」と救急車を呼んだこともある。
まさに血の出る練習によって、ようやく痛みに慣れてきた。
次の問題は、どの場所にどこまで刀を突き刺すかだ。それなりに血が流れないと、切腹の意味がない。
切腹の作法は腹を真横に切る一文字と縦横に切る十文字がある。切腹のシーンを長々と放映することはないだろう。陽一郎は切腹の方法を横一文字に絞った。
実際に自分の腹を切るのだから、印象的なシーンにしなければならない。皮膚を軽く傷つけるだけでは意味がない。かといって深すぎて重傷を負ったり、死亡したりしては撮影中止になってしまう。
皮膚を突き破り、皮下脂肪まで刀を突き刺すが、内臓は傷つけない。このギリギリのラインを狙うのだ。
深さを決定するために、陽一郎は知り合いの医者にレントゲン撮影を頼み込んだ。
医者に本当の目的を話したら止められるのが分かっているので、撮影上の理由だけで押し通した。医者も怪訝の表情を浮かべていたが、長年の主治医でもあり、スタントマンという仕事の性質上いろいろあるのだろうと深くは追及してこなかった。
研究の結果、ついに理想の深さと位置を特定することがきでた。小腸を傷つけないように、小腸と横行結腸の隙間を狙う。突き刺す深さは表皮と真皮を越えて、皮下組織の途中で止める。
これなら派手に血が出るし、勢い余って深くなっても安全だ。陽一郎はくり返し切腹の練習をした。目印として刀の裏側に小さな傷をつけた。体には目印を付けられないので、何度も練習した。撮影前日は出血に備えて充分な水分を取った。
あとは本番を迎えるだけだ。
撮影当日は大騒動になった。何しろ、だれもスタントマンが実際に腹を切るとは思っていない。陽一郎は刀を勢いよく腹に突き刺し、しかも横に動かしたのだ。
血糊だけでなく、実際の血が溢れる。途中で本物の血だとスタッフが気がついても、井村監督のカットの声がかからないので近づけない。
井村監督からのカットの声がかかったのは、陽一郎が力尽きる寸前だった。慌てて救護担当のスタッフが駆け寄り、陽一郎は救急車で運ばれていった。陽一郎は、救急車の中で、会心の演技にガッツポーズをした。
だが、当然のことながら問題になった。このまま放映するかどうか、配信会社では会議が行われた。
喧々諤々の議論の末、本人の意思であることと、あまりの迫真の演技に、そのまま放映されることが決定された。
ドラマの試写会は無事に完了した。試写会に呼ばれた陽一郎に、監督が満面の笑みで握手を求めてくる。
井村監督は、陽一郎をとにかくほめたたえる。
「水谷さんのスタントは素晴らしい。やはり本物の持つ迫力は別格だ。あまりに水谷さんが素晴らしいので、ぜひとも水谷さんのスタントで撮り直しをしたいシーンがある。協力してくれるかね」
水谷は感動した。ついに認められる日がやってきたのだ。スタントマンとして最高の日だ。水谷陽一郎の伝説はここから始まる。
「もちろんです。ぜひともお願いします。どんなシーンでもこなしてみせます」
「さすがは水谷さんだ」
陽一郎が頭を下げると、井村監督は陽一郎の両手を強く握った。
「では、さっそく吉良上野介が首を切られるシーンの打合せを始めたいのだが」
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キャラを考える際に、「尖り」をつけると物語を進めやすくなりますし、オリジナリティが増します。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『スタントマン』 齊藤 想
このドラマは、水谷陽一郎の四十年にも渡るスタントマン人生の集大成となるはずだった。
タイトルは『赤穂浪士忠臣蔵』。古くから何度も映像化された、日本人なら誰もが知るストーリーだ。世界的な動画配信サービス会社が資金を提供し、大々的に世界に向けて配信する計画だという。
監督はリアルさを追求する井村誠司。井村監督は浅野内匠頭が切腹するシーンで、本物の刀を使いたいと希望した。
俳優を傷つけたら大ごとだ。切腹シーンにはスタントマンが必要。ということで、陽一郎にオファーがきたのだ。
陽一郎は決心した。切腹シーンは演技ではなく、実際に腹を切ってやろう。このシーンで、水谷陽一郎の名前を世界に知らしめるのだ。
陽一郎は、切腹シーンの練習を始めた。
まずは小型ナイフを目立たない脇腹に刺してみる。けっこう痛い。鎮痛剤で我慢できるレベルではない。部分麻酔をすれば良いのかもしれないが、感覚が無くなると演技に支障が出る。
陽一郎はスタントマンなので顔はでない。しかし、痛みをこらえる体の動き、肌の歪み、皮膚の痙攣の全てが、このワンシーンのために必要なのだ。
結局のところ、痛みに慣れるしかない。かといって、大事な腹を傷つけるわけれにはいかない。
陽一郎の年齢は六十に手が届こうとしている。だが、スタントマンとして日々筋力トレーニングを続けているので、肉体の美しさでは若手に負けない。
下腹を奇麗なまま保つために、陽一郎は太ももにナイフを突き刺して、痛みに慣れる練習をすることにした。
細い針から初めて、次に小型ナイフ、さらには包丁と、徐々に大きくしていく。長年連れ添った妻は、風呂場で体を傷つけている夫を見て「自殺しようとしている!」と救急車を呼んだこともある。
まさに血の出る練習によって、ようやく痛みに慣れてきた。
次の問題は、どの場所にどこまで刀を突き刺すかだ。それなりに血が流れないと、切腹の意味がない。
切腹の作法は腹を真横に切る一文字と縦横に切る十文字がある。切腹のシーンを長々と放映することはないだろう。陽一郎は切腹の方法を横一文字に絞った。
実際に自分の腹を切るのだから、印象的なシーンにしなければならない。皮膚を軽く傷つけるだけでは意味がない。かといって深すぎて重傷を負ったり、死亡したりしては撮影中止になってしまう。
皮膚を突き破り、皮下脂肪まで刀を突き刺すが、内臓は傷つけない。このギリギリのラインを狙うのだ。
深さを決定するために、陽一郎は知り合いの医者にレントゲン撮影を頼み込んだ。
医者に本当の目的を話したら止められるのが分かっているので、撮影上の理由だけで押し通した。医者も怪訝の表情を浮かべていたが、長年の主治医でもあり、スタントマンという仕事の性質上いろいろあるのだろうと深くは追及してこなかった。
研究の結果、ついに理想の深さと位置を特定することがきでた。小腸を傷つけないように、小腸と横行結腸の隙間を狙う。突き刺す深さは表皮と真皮を越えて、皮下組織の途中で止める。
これなら派手に血が出るし、勢い余って深くなっても安全だ。陽一郎はくり返し切腹の練習をした。目印として刀の裏側に小さな傷をつけた。体には目印を付けられないので、何度も練習した。撮影前日は出血に備えて充分な水分を取った。
あとは本番を迎えるだけだ。
撮影当日は大騒動になった。何しろ、だれもスタントマンが実際に腹を切るとは思っていない。陽一郎は刀を勢いよく腹に突き刺し、しかも横に動かしたのだ。
血糊だけでなく、実際の血が溢れる。途中で本物の血だとスタッフが気がついても、井村監督のカットの声がかからないので近づけない。
井村監督からのカットの声がかかったのは、陽一郎が力尽きる寸前だった。慌てて救護担当のスタッフが駆け寄り、陽一郎は救急車で運ばれていった。陽一郎は、救急車の中で、会心の演技にガッツポーズをした。
だが、当然のことながら問題になった。このまま放映するかどうか、配信会社では会議が行われた。
喧々諤々の議論の末、本人の意思であることと、あまりの迫真の演技に、そのまま放映されることが決定された。
ドラマの試写会は無事に完了した。試写会に呼ばれた陽一郎に、監督が満面の笑みで握手を求めてくる。
井村監督は、陽一郎をとにかくほめたたえる。
「水谷さんのスタントは素晴らしい。やはり本物の持つ迫力は別格だ。あまりに水谷さんが素晴らしいので、ぜひとも水谷さんのスタントで撮り直しをしたいシーンがある。協力してくれるかね」
水谷は感動した。ついに認められる日がやってきたのだ。スタントマンとして最高の日だ。水谷陽一郎の伝説はここから始まる。
「もちろんです。ぜひともお願いします。どんなシーンでもこなしてみせます」
「さすがは水谷さんだ」
陽一郎が頭を下げると、井村監督は陽一郎の両手を強く握った。
「では、さっそく吉良上野介が首を切られるシーンの打合せを始めたいのだが」
―――――
2025年02月17日
【SS】齊藤想『人材斡旋』(ChatGPT_75点)
第40回小説でもどうぞ!に応募した作品その2です。
テーマは「演技」でした。
これは特殊詐欺、いわるゆ「オレオレ詐欺」をテーマにしています。
演技というと映画やドラマが連想されますが、少しひねって犯罪における演技を選びました。前半はオレオレ詐欺の手法が描かれていますが、このあたりは実際の特殊詐欺グループの手法を調べています。会社組織も、実際の事件を多少参考にしました。
もちろん、かなり盛っていますが。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『人材斡旋』 齊藤 想
桐樹は緊張していた。今日は特殊詐欺グループの新人としてのデビュー戦だ。桐樹の役割は「掛け子」。電話口で「オレ、オレ」と声をかけて、老人をだます役目だ。
桐樹が所属する特殊詐欺グループは、会社経営のような組織になっている。入社すると1カ月のトレーニング期間がある。そこで適正を見極められて、グループ内の様々な部署に割り当てられる。
「掛け子」は組織の末端ではあるものの、成績によっては出世が期待できる登竜門のような部署だ。
社長はふとった中年の男だ。社長の口癖は「人材は人財」だ。貴重な人財を見逃さないために、いつも社内を巡回している。
桐樹の前に、調査班が出した電話番号が並べられる。そのリストに従って、桐樹は順番に電話をかける。
全てが老人宅に繋がるわけではない。未使用だったり、会社だったり、中にはどう間違えたのかピザ屋の場合もある。
電話をかけ始めて30分。ついに当たりを引き寄せた。老人の声に合わせて、桐樹は呼びかける。
「あ、もしもし。オレなんだけどさあ」
ここでわざと咳払いをする。
「ちょっと風邪ひいちゃって」
声の違いをごまかすテクニックだ。しばらくして、低い老人の声が返ってくる。
「急に電話かけてきてどうした」
信用したらしい。第一関門はクリアーだ。
フロアの奥に向かって合図をする。上司役と警察官役が、電話の横で待機する。
「オレさあ、集金途中で会社の金を落としちゃって」
「会社の金だと?」
電話の向こう側から、老人が怪訝そうな声を上げる。
ここからが「掛け子」としての実力が試されるときだ。バレそうなピンチを乗り切り、社長に自分の優秀さを証明するのだ。
桐樹は何気ない風を装って、電話を続ける。
「オヤジに、おれの会社のことを言わなかったけ」
「会社もなにも、お前はワシの事務所の下っ端じゃないか。なんだ、周囲にだれかいるのか?」
「まあ、そうなんだけど」
桐樹は声を潜めた。社長に合図をする。どうも相手はヤクザのようだ。このまま続けていいのか判断を求める。社長の決断は「続行」だった。
老人の声にドスが効き始める。
「お前よう、上納金を途中で紛失なんて、どう落とし前をつけるつもりだ」
すでにトレーニング期間に叩きこまれた想定問答からは外れている。アドリブで乗り切るしかない。
「実はとなりに警察が……もしかしたら遺失物の届け出がないかと思って交番に出向いてさあ」
「なに、警察だと! お前はなんというバカ者だ。この電話の内容は聞かれていないだろうな」
「オヤジも声を下げて。ちょっといま警察に代わるから」
桐樹は警察官役に合図をする。警察官役の先輩は電話を受け取ると、遺失物はまだ発見されないこと、大事そうなカバンなので出てきたらすぐに連絡することを老人に伝えた。
警察官役は続ける。
「とても貴重なものと伺っているので、所轄の警察官に当たらせています。本日中は無理かもしれませんが、数日あれば発見される可能性は高いと思います」
老人は納得した様子だったので、電話が桐樹に戻ってきた。
「だから、なんとか助けてくれないか」
桐樹が老人に訴えると、老人は考えている様子だった。うめき声が聞こえる。
「お前は、この不始末について、どう落とし前をつけるつもりだ」
「オレも必死に探す。見つからなかったら、指どころか腕を詰めてもいい。だから今度だけは助けてくれ」
「お前の汚い指などいらん。いつの時代の話だ。振り込めない金だから、いまから現金を用意する。三時間後に取りにこい」
「あ、オレは必死に探すから、代理人がいくかもしれない」
「バカなことを言うな。お前が取りにこい」
「早いうちに探さないとヤバいじゃない。落としそうな場所は、オレしか分からないから」
電話の向こう側から「まったく」という声が聞こえてくる。
「事務所だとまずいな。なら、〇▲喫茶店にくるように代理人に伝えろ。代理人に余計なことは言うなよ」
荒々しく電話が切られた。
役目を終えた桐樹が電話を置くと、社内に静かな拍手が広がった。様子を見守っていた社長が特に大きな拍手を送っている。社長はでっぷりとした腹を揺らせながら、桐樹の肩に手を置いた。
「君の演技は素晴らしい。咄嗟のウソも完璧だ。掛け子ではもったいない。ちょっと、外まで付き合ってくれ」
そう告げられると、桐樹は有無を言わせず車に乗せられた。五分後に白亜の殿堂のような事務所に到着すると、そこには重鎮というべき風格のある面々が待っていた。
彼らは桐樹に次々と難しい質問を浴びせかける。桐樹はわけもわからないまま、演技と咄嗟のウソで乗り切る。
彼らは納得し、満足したようだ。
「合格だ」
「おめでとう」
「これから頑張ってくれたまえ」
桐樹は彼らと握手を交わしながら、社長に尋ねた。
「いったい、これは何の試験ですか? 私は何に採用されたのですか?」
社長は笑いながら答える。
「わが社は人材斡旋も兼ねていてのう。演技とウソは、政治家として最も必要な能力だと思わんかね」
―――――
テーマは「演技」でした。
これは特殊詐欺、いわるゆ「オレオレ詐欺」をテーマにしています。
演技というと映画やドラマが連想されますが、少しひねって犯罪における演技を選びました。前半はオレオレ詐欺の手法が描かれていますが、このあたりは実際の特殊詐欺グループの手法を調べています。会社組織も、実際の事件を多少参考にしました。
もちろん、かなり盛っていますが。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『人材斡旋』 齊藤 想
桐樹は緊張していた。今日は特殊詐欺グループの新人としてのデビュー戦だ。桐樹の役割は「掛け子」。電話口で「オレ、オレ」と声をかけて、老人をだます役目だ。
桐樹が所属する特殊詐欺グループは、会社経営のような組織になっている。入社すると1カ月のトレーニング期間がある。そこで適正を見極められて、グループ内の様々な部署に割り当てられる。
「掛け子」は組織の末端ではあるものの、成績によっては出世が期待できる登竜門のような部署だ。
社長はふとった中年の男だ。社長の口癖は「人材は人財」だ。貴重な人財を見逃さないために、いつも社内を巡回している。
桐樹の前に、調査班が出した電話番号が並べられる。そのリストに従って、桐樹は順番に電話をかける。
全てが老人宅に繋がるわけではない。未使用だったり、会社だったり、中にはどう間違えたのかピザ屋の場合もある。
電話をかけ始めて30分。ついに当たりを引き寄せた。老人の声に合わせて、桐樹は呼びかける。
「あ、もしもし。オレなんだけどさあ」
ここでわざと咳払いをする。
「ちょっと風邪ひいちゃって」
声の違いをごまかすテクニックだ。しばらくして、低い老人の声が返ってくる。
「急に電話かけてきてどうした」
信用したらしい。第一関門はクリアーだ。
フロアの奥に向かって合図をする。上司役と警察官役が、電話の横で待機する。
「オレさあ、集金途中で会社の金を落としちゃって」
「会社の金だと?」
電話の向こう側から、老人が怪訝そうな声を上げる。
ここからが「掛け子」としての実力が試されるときだ。バレそうなピンチを乗り切り、社長に自分の優秀さを証明するのだ。
桐樹は何気ない風を装って、電話を続ける。
「オヤジに、おれの会社のことを言わなかったけ」
「会社もなにも、お前はワシの事務所の下っ端じゃないか。なんだ、周囲にだれかいるのか?」
「まあ、そうなんだけど」
桐樹は声を潜めた。社長に合図をする。どうも相手はヤクザのようだ。このまま続けていいのか判断を求める。社長の決断は「続行」だった。
老人の声にドスが効き始める。
「お前よう、上納金を途中で紛失なんて、どう落とし前をつけるつもりだ」
すでにトレーニング期間に叩きこまれた想定問答からは外れている。アドリブで乗り切るしかない。
「実はとなりに警察が……もしかしたら遺失物の届け出がないかと思って交番に出向いてさあ」
「なに、警察だと! お前はなんというバカ者だ。この電話の内容は聞かれていないだろうな」
「オヤジも声を下げて。ちょっといま警察に代わるから」
桐樹は警察官役に合図をする。警察官役の先輩は電話を受け取ると、遺失物はまだ発見されないこと、大事そうなカバンなので出てきたらすぐに連絡することを老人に伝えた。
警察官役は続ける。
「とても貴重なものと伺っているので、所轄の警察官に当たらせています。本日中は無理かもしれませんが、数日あれば発見される可能性は高いと思います」
老人は納得した様子だったので、電話が桐樹に戻ってきた。
「だから、なんとか助けてくれないか」
桐樹が老人に訴えると、老人は考えている様子だった。うめき声が聞こえる。
「お前は、この不始末について、どう落とし前をつけるつもりだ」
「オレも必死に探す。見つからなかったら、指どころか腕を詰めてもいい。だから今度だけは助けてくれ」
「お前の汚い指などいらん。いつの時代の話だ。振り込めない金だから、いまから現金を用意する。三時間後に取りにこい」
「あ、オレは必死に探すから、代理人がいくかもしれない」
「バカなことを言うな。お前が取りにこい」
「早いうちに探さないとヤバいじゃない。落としそうな場所は、オレしか分からないから」
電話の向こう側から「まったく」という声が聞こえてくる。
「事務所だとまずいな。なら、〇▲喫茶店にくるように代理人に伝えろ。代理人に余計なことは言うなよ」
荒々しく電話が切られた。
役目を終えた桐樹が電話を置くと、社内に静かな拍手が広がった。様子を見守っていた社長が特に大きな拍手を送っている。社長はでっぷりとした腹を揺らせながら、桐樹の肩に手を置いた。
「君の演技は素晴らしい。咄嗟のウソも完璧だ。掛け子ではもったいない。ちょっと、外まで付き合ってくれ」
そう告げられると、桐樹は有無を言わせず車に乗せられた。五分後に白亜の殿堂のような事務所に到着すると、そこには重鎮というべき風格のある面々が待っていた。
彼らは桐樹に次々と難しい質問を浴びせかける。桐樹はわけもわからないまま、演技と咄嗟のウソで乗り切る。
彼らは納得し、満足したようだ。
「合格だ」
「おめでとう」
「これから頑張ってくれたまえ」
桐樹は彼らと握手を交わしながら、社長に尋ねた。
「いったい、これは何の試験ですか? 私は何に採用されたのですか?」
社長は笑いながら答える。
「わが社は人材斡旋も兼ねていてのう。演技とウソは、政治家として最も必要な能力だと思わんかね」
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2025年02月10日
【SS】齊藤想『仮面夫婦』(ChatGPT_90点)
第40回小説でもどうぞ!に応募した作品です。テーマは「演技」でした。
本作は「仲の良い夫婦」を演じなければならない夫婦の話です。
この系統としては、夫婦とも殺し屋だったという映画『Mr.&Mrs. スミス』があります。このパターンは二人が最後まで殺し合うと物語にならないので、基本的には和解で終わります。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
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『仮面夫婦』 齊藤 想
夫婦仲は最悪だった。夫の成幸は職場内で不倫をして、妻の彩菜はスポーツジムの経営者といい仲になっている。
それでも、二人には約束があった。
「娘のルキアの前では、最後まで仲の良い夫婦を演じよう。結婚式で神父の前で誓ったように、死が二人を分かつまでは」
逆にいうと、相手が死ねば結婚生活から解放される。だから、夫婦とも自宅では油断ができない。
妻がルキアの幼稚園の用意をしながら、笑顔で朝食を用意する。
「はい、これはルキア、これはパパね」
彩菜がテーブルの上にシチューを並べる。
「おいしそう!」
ルキアは喜ぶが、成幸の皿からは怪しげな匂いが漂ってくる。彩菜はシチューに何を入れたのか。
「パパは食べないの?」
「あ、うん。もちろん食べるさ」
成幸は「仲の良い夫婦」を演じるために、笑顔でシチューを口に含む。咥内がピリピリする。
彩菜が意味ありげに微笑みかけてくる。
「どう美味しい?」
成幸は、シチューを飲み込まないように答える。
「うふ、とてもほいひいよ」
「なにそれパパ面白い」
ルキアが笑い転げるすきに、成幸はトイレに駆け込んで吐き出す。まいったなと思いながら食卓に戻る途中で妙な殺気を感じ、慌てて両足を広げる。
足の間に、錆びた包丁が刺さっている。彩菜が「うっかり」落としたのだ。
「あら、嫌だ、ごめんなさいね。ちょっと手が滑っちゃって」
成幸が包丁を拾い上げる。
「ずいぶんと錆びている包丁だなあ。これで野菜とか切れるのかよ」
「切れるわけがないじゃない。それに、破傷風菌とかついていそうだし」
「そうだなあ、危ないよなあ」
成幸は軽く笑いながら、包丁を返す。
最近の彩菜の攻撃はますます巧妙になっている。まったくもって油断できない。
妻とルキアが幼稚園に向かうのを見届けてから、成幸は出社した。面白くもない仕事を夕方まで続ける。
退社時間が近づいたころ、一本の社内メールが届いた。メールが指示するままに、成幸は人気のない会議室へと向かう。
その会議室で待っていたのは、成幸の不倫相手である上司だった。彼女は四十代後半で独身。部下には厳しく、社内では一、二を争うほどの嫌われ者。
それでも、成幸は彼女に猛烈なアタックを繰り返した。上司もひとまわり違う上に既婚者からの求愛に戸惑いながらも、ついつい関係を深めていった。
もちろん彼女は成幸の家庭の状況を把握している。だから、成幸が顔を出すだけで今日も無事だったと安心する。
上司はだれもいないのを確かめてから、成幸の体に抱きつく。ふんわりと、甘い香りが立ち上る。
「成幸さん、今日も生きていてうれしい」
成幸は頭をかきながら、まるで何気ない日常のように話す。
「今朝はかなり危なかったよ。なんとか回避できたけど」
上司が成幸のことを見つめる。
「笑っている場合じゃないわよ。もう決心するときだわ。彩菜さんを片付けないと、成幸さんが殺されるのよ」
物騒な話は場所を選ぶ。人の目がなく、だれにも聞かれることのない奥まった会議室は、絶好の場所だった。
「おれには娘がいるから、刑務所に入るわけにはいかないんだ。守るべきところは守らないと」
「だから殺し屋を雇うの」
「バカなことを言うな。殺し屋を雇うだけの大金を動かしたら、警察にバレる」
「大丈夫、私に任せて。私には貯金があるし、それにいいツテがあるの」
「ダメだ。絶対にいけない。君が悪いことをするぐらいなら、ぼくは死んだ方がましだ。だから……そうだな、決めたよ」
「成幸さん……」
上司の目は、とめどなくうるんでいた。
ルキアは夕食を食べながら、ママに話しかける。
「パパ遅いね」
彩菜はルキアに優しく答える。
「パパは仕事で忙しいの。いまが大事な時期だからって」
「パパってたいへんなんだね」
成幸が帰宅したのは深夜だった。ルキアが目覚めてパパお仕事お疲れ様、と抱きついてくる。成幸はルキアのほっぺにキスをしてから、ルキアを寝かしつける。
部屋が夫婦の二人だけになったとき、成幸は安堵の息ををついた。
「いやあ、今回は大変だった。けど、これでひと段落かな」
成幸はスーツの内ポケットから封筒を取り出した。その封筒には数百万円の現金が入っている。
「これが殺し屋を雇うための金だ。自分が雇うと説得して、あの女に金だけ出させた。足のつかない安全な金だ。ところで、そっちはどうだ」
「不倫相手が離婚専門の弁護士を雇うと言い始めたから、あと少しね。あとは現金どう引き出すかだけど、そのために私を攻撃してくれないと」
「そうだなあ」と成幸は本を手に取った。
お互いに演技は楽ではない。だから、実際に殺されそうになるが一番だ。本当だからこそ話に迫力が出る。不倫相手も信じる。
殺そうとするが、殺してはいけない。この微妙なラインが難しい。
「お互いに生命保険もかけているとはいえ、ほどほどにね。いつ事故が起こるのか分からないのだから」
妻の含み笑いを横目で見ながら、成幸は新しいミステリ小説を読み始めた。
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本作は「仲の良い夫婦」を演じなければならない夫婦の話です。
この系統としては、夫婦とも殺し屋だったという映画『Mr.&Mrs. スミス』があります。このパターンは二人が最後まで殺し合うと物語にならないので、基本的には和解で終わります。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『仮面夫婦』 齊藤 想
夫婦仲は最悪だった。夫の成幸は職場内で不倫をして、妻の彩菜はスポーツジムの経営者といい仲になっている。
それでも、二人には約束があった。
「娘のルキアの前では、最後まで仲の良い夫婦を演じよう。結婚式で神父の前で誓ったように、死が二人を分かつまでは」
逆にいうと、相手が死ねば結婚生活から解放される。だから、夫婦とも自宅では油断ができない。
妻がルキアの幼稚園の用意をしながら、笑顔で朝食を用意する。
「はい、これはルキア、これはパパね」
彩菜がテーブルの上にシチューを並べる。
「おいしそう!」
ルキアは喜ぶが、成幸の皿からは怪しげな匂いが漂ってくる。彩菜はシチューに何を入れたのか。
「パパは食べないの?」
「あ、うん。もちろん食べるさ」
成幸は「仲の良い夫婦」を演じるために、笑顔でシチューを口に含む。咥内がピリピリする。
彩菜が意味ありげに微笑みかけてくる。
「どう美味しい?」
成幸は、シチューを飲み込まないように答える。
「うふ、とてもほいひいよ」
「なにそれパパ面白い」
ルキアが笑い転げるすきに、成幸はトイレに駆け込んで吐き出す。まいったなと思いながら食卓に戻る途中で妙な殺気を感じ、慌てて両足を広げる。
足の間に、錆びた包丁が刺さっている。彩菜が「うっかり」落としたのだ。
「あら、嫌だ、ごめんなさいね。ちょっと手が滑っちゃって」
成幸が包丁を拾い上げる。
「ずいぶんと錆びている包丁だなあ。これで野菜とか切れるのかよ」
「切れるわけがないじゃない。それに、破傷風菌とかついていそうだし」
「そうだなあ、危ないよなあ」
成幸は軽く笑いながら、包丁を返す。
最近の彩菜の攻撃はますます巧妙になっている。まったくもって油断できない。
妻とルキアが幼稚園に向かうのを見届けてから、成幸は出社した。面白くもない仕事を夕方まで続ける。
退社時間が近づいたころ、一本の社内メールが届いた。メールが指示するままに、成幸は人気のない会議室へと向かう。
その会議室で待っていたのは、成幸の不倫相手である上司だった。彼女は四十代後半で独身。部下には厳しく、社内では一、二を争うほどの嫌われ者。
それでも、成幸は彼女に猛烈なアタックを繰り返した。上司もひとまわり違う上に既婚者からの求愛に戸惑いながらも、ついつい関係を深めていった。
もちろん彼女は成幸の家庭の状況を把握している。だから、成幸が顔を出すだけで今日も無事だったと安心する。
上司はだれもいないのを確かめてから、成幸の体に抱きつく。ふんわりと、甘い香りが立ち上る。
「成幸さん、今日も生きていてうれしい」
成幸は頭をかきながら、まるで何気ない日常のように話す。
「今朝はかなり危なかったよ。なんとか回避できたけど」
上司が成幸のことを見つめる。
「笑っている場合じゃないわよ。もう決心するときだわ。彩菜さんを片付けないと、成幸さんが殺されるのよ」
物騒な話は場所を選ぶ。人の目がなく、だれにも聞かれることのない奥まった会議室は、絶好の場所だった。
「おれには娘がいるから、刑務所に入るわけにはいかないんだ。守るべきところは守らないと」
「だから殺し屋を雇うの」
「バカなことを言うな。殺し屋を雇うだけの大金を動かしたら、警察にバレる」
「大丈夫、私に任せて。私には貯金があるし、それにいいツテがあるの」
「ダメだ。絶対にいけない。君が悪いことをするぐらいなら、ぼくは死んだ方がましだ。だから……そうだな、決めたよ」
「成幸さん……」
上司の目は、とめどなくうるんでいた。
ルキアは夕食を食べながら、ママに話しかける。
「パパ遅いね」
彩菜はルキアに優しく答える。
「パパは仕事で忙しいの。いまが大事な時期だからって」
「パパってたいへんなんだね」
成幸が帰宅したのは深夜だった。ルキアが目覚めてパパお仕事お疲れ様、と抱きついてくる。成幸はルキアのほっぺにキスをしてから、ルキアを寝かしつける。
部屋が夫婦の二人だけになったとき、成幸は安堵の息ををついた。
「いやあ、今回は大変だった。けど、これでひと段落かな」
成幸はスーツの内ポケットから封筒を取り出した。その封筒には数百万円の現金が入っている。
「これが殺し屋を雇うための金だ。自分が雇うと説得して、あの女に金だけ出させた。足のつかない安全な金だ。ところで、そっちはどうだ」
「不倫相手が離婚専門の弁護士を雇うと言い始めたから、あと少しね。あとは現金どう引き出すかだけど、そのために私を攻撃してくれないと」
「そうだなあ」と成幸は本を手に取った。
お互いに演技は楽ではない。だから、実際に殺されそうになるが一番だ。本当だからこそ話に迫力が出る。不倫相手も信じる。
殺そうとするが、殺してはいけない。この微妙なラインが難しい。
「お互いに生命保険もかけているとはいえ、ほどほどにね。いつ事故が起こるのか分からないのだから」
妻の含み笑いを横目で見ながら、成幸は新しいミステリ小説を読み始めた。
―――――
2025年02月03日
【掌編】齊藤想『長逗留』(chatGPT_85点)
第4回水の都おおがき短編小説コンクールに応募した作品です。
水の都おおがき短編小説コンクールの募集要項は「水の都「大垣」を舞台とする、あるいは大垣ゆかりのエピソードや事物が登場する4,000字以内の短編小説」です。
大垣の観光地案内等を閲覧しましたが、いまいちピンとくるものがありません。そのため、思い切って時代小説にして「赤坂宿」を舞台にしました。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。この作品の技法は3/5発行のニュースレターにて!
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
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『長逗留』 齊藤 想
美濃国赤坂宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて五十六番目の宿場町だ。平家物語にも登場する由緒ある土地だが、ここで長逗留する武士は珍しい。
赤坂宿は商人の町だ。打瀬川の水運に恵まれ蔵米輸送の中継基地として栄え、近隣の金生山から採掘される石灰岩と大理石の積み出し港にもなっている。
「切り捨て御免」がまかり通ったのは、戦国時代を引きずる江戸初期までだ。江戸後期になると、商人相手に不用意に刀を抜くだけで厳罰に処される恐れがある。
お家大事の武士たちは、商人との意図せぬトラブルを避けるため、赤坂宿を素通りするのが定跡となっていた。
そのような赤坂宿に、身なりの立派な旗本が長逗留をすると言い始めたので、またたくまに赤坂宿の噂となった。
彼は国見権三郎と名乗った。国見が腰を落ち着けたのは、赤坂宿でも安宿の部類に入る三隈屋だった。
宿場には、怪しい旅人が泊まると奉行所に届ける義務がある。だが、国見は関所手形を持っており、手続き的には問題ない。
国見は何をするわけでもなく、毎日赤坂港の近くで小鮒釣りを続けている。
間の悪いことに、近々、彦根藩井伊家の姫君が円興寺に参拝するために赤坂宿を通過する予定になっている。厳戒態勢が引かれているさなかに国見が事件を起こしたら、赤坂宿の存亡にかかわる。
心配した名主の矢数三郎は、国見が宿泊する三隈屋の主人と女将のふじを呼び出した。
矢数が三隈屋に尋ねる。
「あのお武家様は、毎日何をしているのだ。知っていることがあれば、申してみろ」
三隈屋は平伏しながら、いつもの様子を説明する。何をするわけでもなく、毎日のように赤坂港の近くで釣りをしている。晴れの日も、風の日も、そして雨の日も。
矢数は首をひねった。
「雨の日に釣りとは、少々怪しいのではないか。石灰岩と大理石の産地である金生山を探りに来た隠密かもしれぬ」
「金生山には近づいていないようですが」
「山に近づかなくても、船を数えているだけでもかなりの事が分かる」
「三隈屋としても、お武家様の行動には気をかけております。とはいえ、長逗留しているだけで奉行所に訴え出て、本当に公用だったら我々が処罰されてしまいます」
「確かに、三隈屋の言う通りではあるが」
矢数は腕を組んで考え込んだ。三隈屋も困ったように首をひねる。
そんな二人をしり目に、女将のふじがケラケラと笑い声をあげた。
「悩んでいるぐらなら、本人から直接聞いてみたらどうですか。何の目的で、いつまでいるのですかって」
ふじは江戸の女だ。既婚者だが、酒乱で暴力的な旦那から逃げ出し、いまは三隈屋に住み込みで働いでいる。
ふじは明朗活発な性格で、だれかも好かれ、頼りにされている。とはいえ、あまりの豪胆さに矢数は驚いた。
「それを聞けるのか? お武家様に怒られたりしないのか」
「大丈夫ですよ。同じ江戸出身ですし、年齢も近いようです。男が聞けないことを聞き出すことが、女の役目ですから」
国見が泊まり始めて五日目の朝だ。ふじは静かに襖を開けた。
国見は木片に小刀を当てて、何かを彫っていた。削りクズが飛び散らないよう、畳には紙が敷かれている。
ふじは丁寧にお辞儀をする。
「おはようございます。国見様は仏さまを彫られているのですか。なかなか、見事なものでございますね」
国見は不愛想に答える。
「仏ではない。これは愛染明王だ。用がないなら部屋から出てもらおうか」
「そんな堅いことを言わずに、粗茶をお持ちしただけでございます。たまたま出入りの商人から遠州袋井の産をいただきまして」
「それはご苦労だった」と言いつつ、国見は付け加える。
「突然部屋に現れたということは、女将は宿代の心配をしているのかね。いつ清算してもかまわないのだが」
ふじはケラケラと笑った。
「そのような心配はしていませんよ。ところで、国見様はどちらからおいでなさったのですか? 江戸とはお聞きしましたが、江戸といえどもひろうございますから」
国見は短く答えた。
「板橋だ」
「あら偶然。私も板橋の出身でございます。とはいえ、私は板橋から逃げてきた女でございますけど」
国見は小刀を畳に置くと、木くずが散らばっている紙を折り、大切そうに錦袋に落とし込んだ。そして、錦袋の口を固く閉じる。
「逃げてきたということは、何か辛いことでもあったのかね」
「ええそうです。旦那は板橋仲町の紙問屋の二代目でした」
板橋仲町という地名に、国見がわずかに反応した。
「旦那は酒乱で、毎日のように酒を飲んで暴れていました。そのような状態だから商売も上手くいかなくなり、ますます酒に逃げるようになりました」
「子供はいないのかね」
「いなかったのが幸いで、体一つで逃げてきました。うちの主人は方々に不義理を重ねていたので、私が先代から預かった最後の金子で清算して、中山道を走り続けました。それで気が付いたら、赤坂宿に住み着くことになったのです。ここはいい土地ですよ」
国見はふじの話に、相槌を打つ。
「女のひとり旅は大変だったろう」
「けど、人の世は情けといいます。たくさんのひとたちに助けられ、なんとかここまで生きてきました。せっかくなので、明日は小鮒釣りにご一緒させても良いですか」
「それはちょっと……」
「女が釣りをしたらおかしいでしょうか。近くで釣り糸を垂らしているだけで、決してご迷惑はおかけしませんから」
翌朝、国見はいつものように、打瀬川に釣り糸を垂らした。ふじの釣竿にはよく小鮒がかかるようで、子供のような嬌声が絶え間なく聞こえてくる。
「国見様、また釣れましたよ! 釣りって面白いものですね」
国見は苦笑いをしながら、小さく首を横に振る。
しばらくして、井伊家の旗を掲げた船が赤坂港に入ってきた。お付きの人に囲まれながら、着飾ったお姫様が船から下りてくる。
姫様が釣りをしている国見を見据える。
「ところであの者は」
お付きの者が慌てて、姫様を国見から離そうとする。
「あれはただの浪人者でしょう。決してお近づきにならないように」
国見はすっと立ち上がると、錦袋から木くずを取り出し、お姫様の前で飲み込んだ。
突然のことに目を丸くしていた姫様は、しばらくして寂しそうな顔になった。そして、お付きのひとたちに答える。
「確かに浪人者のようです。私には無関係のひとです。さあ、先を急ぎましょう」
ふじは国見に近づいた。
「お役目は無事に終わりましたか」
国見は小さくうなずく。
「あの木片は、板橋仲宿の縁切榎ですね。この榎の木片を煎じて飲むと、悪縁を切ることができるといわれます。私も前夫との縁を切るために飲んで逃げてきたのです」
国見は黙って聞き続ける。
「国見様が井伊家の姫様と知り合いになったきっかけは下々には伺い知れませんが、姫様に縁談が持ち上がっても二人の思いは分かちがたく、姫様から縁切榎を所望されたのでしょう。それを渡す唯一の機会が、紅葉の名所でもある円興寺への参拝だった」
国見は竿を仕舞うと、魚篭に入れていた小鮒を逃がした。小鮒は嬉しそうに、打瀬川を泳いでいく。
その様子を見ていた国見が、口を開く。
「私には手の届かない相手だと知っていました。姫様からしても親の決めた相手に嫁ぐのが幸せなはずです。だから、私はお姫様に私のことを諦めてもらうために、目の前で縁切榎を飲み込んだのです」
国見の目に微かな涙が浮かんだ。そして、懐から彫り続けていた愛染明王を出す。
「愛染明王の十二大願に「女性に善き愛を与えて良い縁を結ぶ」があります。私は、彼女は幸せになってくれると信じています」
国見は愛染明王を打瀬川に浮かべた。そのまま立ち去ろうとする国見に、ふじは背中から声をかける。
「赤坂宿の住人になりませんか」
国見の足が止まる。
「旗本は長旅が許されていません。勘当覚悟で長逗留されたのですよね。赤坂の人々は親切ですし、それに男一人ぐらい、仕事を見つけるのは簡単ですから」
愛染明王が波に揺られて下っていく。
「私は三十代ですけど、いまだって、新しい恋を探しているのです。国見様だって、人生これからです」
国見は、人目をはばからずに泣いた。
もう縁切り榎は必要ない。
―――――
水の都おおがき短編小説コンクールの募集要項は「水の都「大垣」を舞台とする、あるいは大垣ゆかりのエピソードや事物が登場する4,000字以内の短編小説」です。
大垣の観光地案内等を閲覧しましたが、いまいちピンとくるものがありません。そのため、思い切って時代小説にして「赤坂宿」を舞台にしました。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。この作品の技法は3/5発行のニュースレターにて!
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『長逗留』 齊藤 想
美濃国赤坂宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて五十六番目の宿場町だ。平家物語にも登場する由緒ある土地だが、ここで長逗留する武士は珍しい。
赤坂宿は商人の町だ。打瀬川の水運に恵まれ蔵米輸送の中継基地として栄え、近隣の金生山から採掘される石灰岩と大理石の積み出し港にもなっている。
「切り捨て御免」がまかり通ったのは、戦国時代を引きずる江戸初期までだ。江戸後期になると、商人相手に不用意に刀を抜くだけで厳罰に処される恐れがある。
お家大事の武士たちは、商人との意図せぬトラブルを避けるため、赤坂宿を素通りするのが定跡となっていた。
そのような赤坂宿に、身なりの立派な旗本が長逗留をすると言い始めたので、またたくまに赤坂宿の噂となった。
彼は国見権三郎と名乗った。国見が腰を落ち着けたのは、赤坂宿でも安宿の部類に入る三隈屋だった。
宿場には、怪しい旅人が泊まると奉行所に届ける義務がある。だが、国見は関所手形を持っており、手続き的には問題ない。
国見は何をするわけでもなく、毎日赤坂港の近くで小鮒釣りを続けている。
間の悪いことに、近々、彦根藩井伊家の姫君が円興寺に参拝するために赤坂宿を通過する予定になっている。厳戒態勢が引かれているさなかに国見が事件を起こしたら、赤坂宿の存亡にかかわる。
心配した名主の矢数三郎は、国見が宿泊する三隈屋の主人と女将のふじを呼び出した。
矢数が三隈屋に尋ねる。
「あのお武家様は、毎日何をしているのだ。知っていることがあれば、申してみろ」
三隈屋は平伏しながら、いつもの様子を説明する。何をするわけでもなく、毎日のように赤坂港の近くで釣りをしている。晴れの日も、風の日も、そして雨の日も。
矢数は首をひねった。
「雨の日に釣りとは、少々怪しいのではないか。石灰岩と大理石の産地である金生山を探りに来た隠密かもしれぬ」
「金生山には近づいていないようですが」
「山に近づかなくても、船を数えているだけでもかなりの事が分かる」
「三隈屋としても、お武家様の行動には気をかけております。とはいえ、長逗留しているだけで奉行所に訴え出て、本当に公用だったら我々が処罰されてしまいます」
「確かに、三隈屋の言う通りではあるが」
矢数は腕を組んで考え込んだ。三隈屋も困ったように首をひねる。
そんな二人をしり目に、女将のふじがケラケラと笑い声をあげた。
「悩んでいるぐらなら、本人から直接聞いてみたらどうですか。何の目的で、いつまでいるのですかって」
ふじは江戸の女だ。既婚者だが、酒乱で暴力的な旦那から逃げ出し、いまは三隈屋に住み込みで働いでいる。
ふじは明朗活発な性格で、だれかも好かれ、頼りにされている。とはいえ、あまりの豪胆さに矢数は驚いた。
「それを聞けるのか? お武家様に怒られたりしないのか」
「大丈夫ですよ。同じ江戸出身ですし、年齢も近いようです。男が聞けないことを聞き出すことが、女の役目ですから」
国見が泊まり始めて五日目の朝だ。ふじは静かに襖を開けた。
国見は木片に小刀を当てて、何かを彫っていた。削りクズが飛び散らないよう、畳には紙が敷かれている。
ふじは丁寧にお辞儀をする。
「おはようございます。国見様は仏さまを彫られているのですか。なかなか、見事なものでございますね」
国見は不愛想に答える。
「仏ではない。これは愛染明王だ。用がないなら部屋から出てもらおうか」
「そんな堅いことを言わずに、粗茶をお持ちしただけでございます。たまたま出入りの商人から遠州袋井の産をいただきまして」
「それはご苦労だった」と言いつつ、国見は付け加える。
「突然部屋に現れたということは、女将は宿代の心配をしているのかね。いつ清算してもかまわないのだが」
ふじはケラケラと笑った。
「そのような心配はしていませんよ。ところで、国見様はどちらからおいでなさったのですか? 江戸とはお聞きしましたが、江戸といえどもひろうございますから」
国見は短く答えた。
「板橋だ」
「あら偶然。私も板橋の出身でございます。とはいえ、私は板橋から逃げてきた女でございますけど」
国見は小刀を畳に置くと、木くずが散らばっている紙を折り、大切そうに錦袋に落とし込んだ。そして、錦袋の口を固く閉じる。
「逃げてきたということは、何か辛いことでもあったのかね」
「ええそうです。旦那は板橋仲町の紙問屋の二代目でした」
板橋仲町という地名に、国見がわずかに反応した。
「旦那は酒乱で、毎日のように酒を飲んで暴れていました。そのような状態だから商売も上手くいかなくなり、ますます酒に逃げるようになりました」
「子供はいないのかね」
「いなかったのが幸いで、体一つで逃げてきました。うちの主人は方々に不義理を重ねていたので、私が先代から預かった最後の金子で清算して、中山道を走り続けました。それで気が付いたら、赤坂宿に住み着くことになったのです。ここはいい土地ですよ」
国見はふじの話に、相槌を打つ。
「女のひとり旅は大変だったろう」
「けど、人の世は情けといいます。たくさんのひとたちに助けられ、なんとかここまで生きてきました。せっかくなので、明日は小鮒釣りにご一緒させても良いですか」
「それはちょっと……」
「女が釣りをしたらおかしいでしょうか。近くで釣り糸を垂らしているだけで、決してご迷惑はおかけしませんから」
翌朝、国見はいつものように、打瀬川に釣り糸を垂らした。ふじの釣竿にはよく小鮒がかかるようで、子供のような嬌声が絶え間なく聞こえてくる。
「国見様、また釣れましたよ! 釣りって面白いものですね」
国見は苦笑いをしながら、小さく首を横に振る。
しばらくして、井伊家の旗を掲げた船が赤坂港に入ってきた。お付きの人に囲まれながら、着飾ったお姫様が船から下りてくる。
姫様が釣りをしている国見を見据える。
「ところであの者は」
お付きの者が慌てて、姫様を国見から離そうとする。
「あれはただの浪人者でしょう。決してお近づきにならないように」
国見はすっと立ち上がると、錦袋から木くずを取り出し、お姫様の前で飲み込んだ。
突然のことに目を丸くしていた姫様は、しばらくして寂しそうな顔になった。そして、お付きのひとたちに答える。
「確かに浪人者のようです。私には無関係のひとです。さあ、先を急ぎましょう」
ふじは国見に近づいた。
「お役目は無事に終わりましたか」
国見は小さくうなずく。
「あの木片は、板橋仲宿の縁切榎ですね。この榎の木片を煎じて飲むと、悪縁を切ることができるといわれます。私も前夫との縁を切るために飲んで逃げてきたのです」
国見は黙って聞き続ける。
「国見様が井伊家の姫様と知り合いになったきっかけは下々には伺い知れませんが、姫様に縁談が持ち上がっても二人の思いは分かちがたく、姫様から縁切榎を所望されたのでしょう。それを渡す唯一の機会が、紅葉の名所でもある円興寺への参拝だった」
国見は竿を仕舞うと、魚篭に入れていた小鮒を逃がした。小鮒は嬉しそうに、打瀬川を泳いでいく。
その様子を見ていた国見が、口を開く。
「私には手の届かない相手だと知っていました。姫様からしても親の決めた相手に嫁ぐのが幸せなはずです。だから、私はお姫様に私のことを諦めてもらうために、目の前で縁切榎を飲み込んだのです」
国見の目に微かな涙が浮かんだ。そして、懐から彫り続けていた愛染明王を出す。
「愛染明王の十二大願に「女性に善き愛を与えて良い縁を結ぶ」があります。私は、彼女は幸せになってくれると信じています」
国見は愛染明王を打瀬川に浮かべた。そのまま立ち去ろうとする国見に、ふじは背中から声をかける。
「赤坂宿の住人になりませんか」
国見の足が止まる。
「旗本は長旅が許されていません。勘当覚悟で長逗留されたのですよね。赤坂の人々は親切ですし、それに男一人ぐらい、仕事を見つけるのは簡単ですから」
愛染明王が波に揺られて下っていく。
「私は三十代ですけど、いまだって、新しい恋を探しているのです。国見様だって、人生これからです」
国見は、人目をはばからずに泣いた。
もう縁切り榎は必要ない。
―――――
2025年01月27日
【掌編】齊藤想『9月1日』(CahtGPT:95点)
サスペンスでよく使われる二重人格を扱っています。よく使われるテーマを採用する場合は、何らかのひと工夫、何らかのひとアイデアが必要だと考えています。
本作の場合は、二重人格の相手が違うというアイデアをプラスしています。
しかも主人公は「自分と母」だと思っていたのが、実は「自分と父」で、さらに「自分と父が逆だった」という二重のひねりを加えています。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『9月1日』 齊藤 想
玲央が、自分は二重人格ではないかと疑い始めたのは、小学六年生の夏休みの最後の日だった。
玲央が目覚めると、学習机の上に夏休みの宿題が奇麗に並べられている。プリントも補助教材も、全て解答が記入されている。
その宿題の束の横に置かれてるのは、自由研究で作った昆虫の標本たち。夏休みに収集した、ぼくの宝物。
自由研究はともかく、プリントや補助教材を片付けた記憶がない。もしかしたら、寝ている間にもうひとつの人格が目を覚まし、宿題をしているのではないか。
そのような疑いを持った玲央は、朝食のパンをかじりながら、何気ない風を装って、パパに尋ねる。
「夏休みの宿題は、誰がしたのかな」
パパも、玲央と同じようにパンをかじる。
「そんなの玲央に決まっているだろ。夜に玲央がコツコツと勉強していたじゃないか」
「文字が自分とは違うように見えるんだよね。大人の女性みたいな文字というか」
「ママが宿題したと思っているのか。ママが手伝うわけないじゃないか」
パパはからりと笑った。それはそうだよね、と玲央も軽く笑う。
玲央はパパの顔を見る。ずいぶんと白髪が増えた。目の周りには隈がある。疲れ切った老人の顔だ。
玲央が再びパンをかじる。パパも同じようにパンをかじる。
「単に玲央が寝ぼけているだけだろ。ママは夜勤だぞ。ママが夜に宿題をする時間なんてないよ」
ママは仕事でほとんど家にいない。玲央が目覚めると、いつも食卓テーブルの上にメモとご飯が置いてある。
パパの話が本当ならば、ママは昼間は家いるはず。それなのに、ママと顔を合わせることがほとんどない。それも、玲央が二重人格を疑う根拠のひとつだ。
「ママは本当にいるんだよね」
玲央はずっと疑っている。本当はママは死んでいて、それをパパが隠しているのではないか。自分の人格の一部に死んだママが乗り移り、玲央が寝るとママの人格が目覚めて、玲央の宿題をしたり、朝食の準備をしたり、手紙を書いたりしているのではないか。
パパは軽く笑う。
「玲央は本当に心配性だなあ。思い出してみろよ。夏の旅行での昆虫採集は楽しかったよなあ。パパもママも、必死になって珍しいトンボを追いかけたりして」
それは玲央も覚えている。
「けど、捕まえてみたら、それほど珍しくない種類だったよね」
「玲央はなにを言うかなあ。パパが網に入れたのは、都会では捕れないトンボだぞ。だから、やっぱり珍しいよ」
パパの声も弾んできた。
昆虫採集のときは、確実に親子3人が揃っていた。わずか2~3週間前なのに、ずいぶんと昔の出来事のように感じる。
玲央は、目を閉じて、夏の旅行を思い出そうとした。
家族で選んだ行先は、信州の山奥だった。玲央が自由研究で昆虫採集をしたいというと、パパとママが相談して、山奥のロッジを借りてくれた。
完全に文明から切り離された世界。電気と水しかない最低限の生活。食事は全て自炊だが、ロッジに備え付けられている電気調理器の火力が弱いため、毎日が庭先でのバーベキューだった。
標本にするために、トンボを3種類とチョウを4種類捕まえた。家に持ち帰るために、昆虫を三角紙で包み込んでから、密閉できる容器にいれた。
三角紙の使い方は、パパに教えてもらった。ママは玲央の手先を「上手」と褒めてくれた。
確かにこのときまで、母はいた。問題はその後だ。
家族でロッジを後にした。麓まで狭い山道が続いている。ふと、山影から大型の乗用車が現れた。地元の車ではないのだろう。カーブで大きく膨らみ、パパの車に接触しそうになった。
パパが慌ててハンドルを切った。ギリギリで交わすはずだった。車は路肩を越えて、左前のタイヤが草むらに入った。
しかし、その草むらに地面はなかった。
車は崖下へと転落した。数えきれないほど回転した。記憶が途切れていく。
玲央が目覚めたのは、三日後だった。病院ではなく、いつもの部屋だった。パパが玲央のことをのぞき込んでいる。
「心配したよ」
ママもいたが、なぜかオロオロして、ふいに部屋からでていった。
それからだ。ママの姿を見なくなったのは。
急に玄関の扉が開いた。
「ママ!」
玲央は玄関に向かって駆けだした。ママは驚いた顔をしている。
「ねえパパ。ママが帰ってきたよ」
パパも嬉しそうな顔をしている。しかし、その顔は斜めに歪んでいた。ママの悲痛な声が部屋に響く。
「もう終わりにして」
ママは食卓に入ると、パパを小脇に抱え込んだ。正確にはパパではなく、玲央の前に置かていた小さな鏡だ。その鏡を、玲央に突き付けてくる。
鏡に映る、疲れ切った、初老の顔。
「お父さんしっかりして。もう玲央はこの世にいないの。貴方は玲央ではなくて、玲央の父親。いつまで8月31日を繰り返すつもりなの」
ママは鏡を抱えたまま、玄関マットでおろおろと泣き続けている。
玲央は両手を見つめた。すっかりと皺が増えた。玲央は自分に言い聞かせる。私は玲央だ。断じて父ではない。
玲央は古びたカレンダーに目を移す。
明日は9月1日。始業式。クラスに昆虫の標本を持っていく日。
あと1回寝れば、きっと、9月1日になっている。
―――――
2025年01月20日
【SS】齊藤想『ツタンカーメン王の呪い』(ChatGPT:80点)
第39回小説でもどうぞ!に応募した作品その1です。テーマは「眠り」です。
テーマの「眠り」を少しひねっています。
アイデアとしては逆転です。ツタンカーメン王は呪いをかけるのですが、実は呪いをかけられていた、というのがストーリーの骨子になります。
オチに結びつけるために、ツタンカーメン王は、途中から嫌々で呪いをかける必要があります。逆エスカレーションです。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『ツタンカーメン王の呪い』 齊藤 想
ツタンカーメン王は、エジプトを支配する偉大なる王として、王家の谷の奥深くで永遠の眠りについたはずだった。
聖なる遺体は、王家専属のミイラ職人の手によって完璧な状態でミイラ化される。肌は香油で清められ、内臓は丁寧に抜き取られ、爪の先まで防腐処理が施され、最高級の白布で包まれ、黄金のマスクを被せられてから豪華な副葬品ともに棺に納められる。
王を目覚めさせる者はだれもいない。
そう信じていたのに、気が付いたら奇妙な服装をした下人どもが、副葬品とミイラを部屋の外に運び出そうとしている。
聞いたことのない言葉が、小さな部屋でこだまする。
霊体になって目覚めたツタンカーメン王がこの状況に戸惑っていると、オリシス神を始めとするエジプトの神々が現れた。
エジプトにおいて王は神々の子孫であり、神と同格である。ツタンカーメン王は、オリシス神に尋ねる。
「これはどうしたことか。こいつらは何者だ」
オリシス神は、おごそかに答える。
「この者たちは、海の果てからきた王の眠りを妨げる不届き者でございます」
「つまり盗掘者ということか。わがエジプトの軍隊は何をしているのか」
「申し訳ありませんが、王が知るエジプトはすでに滅びております。しかし、ご安心ください。このようなときのために、神官たちが呪いの言葉を残しております」
「それは、どのような言葉か」
オリシス神は、霊室の入口に書かれている文字を指した。そこには”王の永遠の眠りを妨げるものには、王による永遠の呪いが与えられるであろう”と刻まれている。
オリシス神は、持っているヘカ杖とネケク笏を鳴らした。
「王よ、いまこそ呪いの力を解き放つときです。この不届き者に王の罰を与えるです」
神々の怒りはごもっともである。無礼千万な盗掘者たちに、王家の力を見せつけねばならない。
まずは責任者を呪い殺そう。とはいえ、異国の民なので、誰が責任者か分からない。言葉も分からない。そのため、とりあえず耳に入った名前に呪いをかけることにした。名前の響きも偉そうだ。
ほどなくして、発掘隊のスポンサーであるカーナーヴォン卿が敗血症で死亡した。
呪いを果たしたツタンカーメン王は満足した。さて、再び眠りにつこう。そう思っていたのに、神々はさらなる罰を求めてくる。
「この程度で、呪いを終わらせてはいけません。これを見てください」
オリシス神は、ツタンカーメン王にミイラの手で作られた文鎮を見せた。
「これは、王の墓を発掘した学者が、友人へ面白半分にプレゼントしたものです」
確かにこれは酷い。死者への冒涜だ。ツタンカーメン王も怒りを覚えた。
「この文鎮に触れた者に、苦しみを与えよ」
ほどなくして、文鎮の所有者の自宅は全焼した。懲りずに自宅を再築したので、今度は洪水で押し流してやった。
これで、誰もがツタンカーメン王の恐ろしさを知ったことだろう。王家をバカにする者はいない。
もう充分だとツタンカーメン王は思っているのに、神々は許してくれない。
「なんて甘い罰なんだ。この程度では王家だけでなく神々も見くびられてしまう」
神々に迫られると、王としては従うしかない。渋々ながら呪いを継続する。
次に呪いをかけたのは、最初に呪い殺したカーナーヴォン卿の親族だ。カーナーヴォン卿に強い恨みがあったわけではないが、たまたま彼の親族に重病人がいて、余命いくばくもなかったので、諦めてもらえると思ったのだ。
この大甘の措置に、神々が怒り始めた。
仕方なく、今度は放射線技師のアーチボルド・ダグラス・リード卿に呪いをかけた。
もちろん彼に恨みがあったわけではない。
王のミイラが調査のためレントゲン撮影されることになったのだが、たまたまツタンカーメン王が神々に責められているときに、彼が目の前にいたという不幸な理由だ。
ツタンカーメン王は呪いに疲れた。もう限界だった。
「そろそろ永遠の眠りにつかせてくれ。私は疲れ切った。そもそも、なぜ、呪う側が苦しまなくてはいけないのか」
王の前に立ち並ぶエジプトの神々は、ツタンカーメン王の泣き言をせせら笑った。
「いまごろ気が付いたのかね」
「なんと愚鈍な王だ」
「これで我々と同格だと信じているのだからタチが悪い」
「そ、それはどういうことだ」
驚くツタンカーメン王に、神々の列からオリシス神が前に出た。王に向かって、ヘカ杖とネケク笏を不気味に鳴らす。
「王の死後を飾る財宝を集めるために、国民がどれだけ塗炭の苦しみを味わったのか、王はご存じないでしょう。平民出身の神官は下々の苦しみを知るだけに、王家を深く恨んでいました。だから、王の永遠の眠りが妨げられるとき、つまり王家が滅びた時に、今度は王家が永遠に眠れなくなるような呪いをかけたのです。この呪いにより、王は誰かを永遠に呪い続ける義務があるのです。さあ、次はだれを呪いますか」
オリシス神は、ツタンカーメン王の目の前で高笑いをした。
ツタンカーメン王は絶望した。
永遠の眠りは、永遠に訪れそうにない。
―――――
テーマの「眠り」を少しひねっています。
アイデアとしては逆転です。ツタンカーメン王は呪いをかけるのですが、実は呪いをかけられていた、というのがストーリーの骨子になります。
オチに結びつけるために、ツタンカーメン王は、途中から嫌々で呪いをかける必要があります。逆エスカレーションです。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
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『ツタンカーメン王の呪い』 齊藤 想
ツタンカーメン王は、エジプトを支配する偉大なる王として、王家の谷の奥深くで永遠の眠りについたはずだった。
聖なる遺体は、王家専属のミイラ職人の手によって完璧な状態でミイラ化される。肌は香油で清められ、内臓は丁寧に抜き取られ、爪の先まで防腐処理が施され、最高級の白布で包まれ、黄金のマスクを被せられてから豪華な副葬品ともに棺に納められる。
王を目覚めさせる者はだれもいない。
そう信じていたのに、気が付いたら奇妙な服装をした下人どもが、副葬品とミイラを部屋の外に運び出そうとしている。
聞いたことのない言葉が、小さな部屋でこだまする。
霊体になって目覚めたツタンカーメン王がこの状況に戸惑っていると、オリシス神を始めとするエジプトの神々が現れた。
エジプトにおいて王は神々の子孫であり、神と同格である。ツタンカーメン王は、オリシス神に尋ねる。
「これはどうしたことか。こいつらは何者だ」
オリシス神は、おごそかに答える。
「この者たちは、海の果てからきた王の眠りを妨げる不届き者でございます」
「つまり盗掘者ということか。わがエジプトの軍隊は何をしているのか」
「申し訳ありませんが、王が知るエジプトはすでに滅びております。しかし、ご安心ください。このようなときのために、神官たちが呪いの言葉を残しております」
「それは、どのような言葉か」
オリシス神は、霊室の入口に書かれている文字を指した。そこには”王の永遠の眠りを妨げるものには、王による永遠の呪いが与えられるであろう”と刻まれている。
オリシス神は、持っているヘカ杖とネケク笏を鳴らした。
「王よ、いまこそ呪いの力を解き放つときです。この不届き者に王の罰を与えるです」
神々の怒りはごもっともである。無礼千万な盗掘者たちに、王家の力を見せつけねばならない。
まずは責任者を呪い殺そう。とはいえ、異国の民なので、誰が責任者か分からない。言葉も分からない。そのため、とりあえず耳に入った名前に呪いをかけることにした。名前の響きも偉そうだ。
ほどなくして、発掘隊のスポンサーであるカーナーヴォン卿が敗血症で死亡した。
呪いを果たしたツタンカーメン王は満足した。さて、再び眠りにつこう。そう思っていたのに、神々はさらなる罰を求めてくる。
「この程度で、呪いを終わらせてはいけません。これを見てください」
オリシス神は、ツタンカーメン王にミイラの手で作られた文鎮を見せた。
「これは、王の墓を発掘した学者が、友人へ面白半分にプレゼントしたものです」
確かにこれは酷い。死者への冒涜だ。ツタンカーメン王も怒りを覚えた。
「この文鎮に触れた者に、苦しみを与えよ」
ほどなくして、文鎮の所有者の自宅は全焼した。懲りずに自宅を再築したので、今度は洪水で押し流してやった。
これで、誰もがツタンカーメン王の恐ろしさを知ったことだろう。王家をバカにする者はいない。
もう充分だとツタンカーメン王は思っているのに、神々は許してくれない。
「なんて甘い罰なんだ。この程度では王家だけでなく神々も見くびられてしまう」
神々に迫られると、王としては従うしかない。渋々ながら呪いを継続する。
次に呪いをかけたのは、最初に呪い殺したカーナーヴォン卿の親族だ。カーナーヴォン卿に強い恨みがあったわけではないが、たまたま彼の親族に重病人がいて、余命いくばくもなかったので、諦めてもらえると思ったのだ。
この大甘の措置に、神々が怒り始めた。
仕方なく、今度は放射線技師のアーチボルド・ダグラス・リード卿に呪いをかけた。
もちろん彼に恨みがあったわけではない。
王のミイラが調査のためレントゲン撮影されることになったのだが、たまたまツタンカーメン王が神々に責められているときに、彼が目の前にいたという不幸な理由だ。
ツタンカーメン王は呪いに疲れた。もう限界だった。
「そろそろ永遠の眠りにつかせてくれ。私は疲れ切った。そもそも、なぜ、呪う側が苦しまなくてはいけないのか」
王の前に立ち並ぶエジプトの神々は、ツタンカーメン王の泣き言をせせら笑った。
「いまごろ気が付いたのかね」
「なんと愚鈍な王だ」
「これで我々と同格だと信じているのだからタチが悪い」
「そ、それはどういうことだ」
驚くツタンカーメン王に、神々の列からオリシス神が前に出た。王に向かって、ヘカ杖とネケク笏を不気味に鳴らす。
「王の死後を飾る財宝を集めるために、国民がどれだけ塗炭の苦しみを味わったのか、王はご存じないでしょう。平民出身の神官は下々の苦しみを知るだけに、王家を深く恨んでいました。だから、王の永遠の眠りが妨げられるとき、つまり王家が滅びた時に、今度は王家が永遠に眠れなくなるような呪いをかけたのです。この呪いにより、王は誰かを永遠に呪い続ける義務があるのです。さあ、次はだれを呪いますか」
オリシス神は、ツタンカーメン王の目の前で高笑いをした。
ツタンカーメン王は絶望した。
永遠の眠りは、永遠に訪れそうにない。
―――――
2025年01月13日
【SS】齊藤想『ライオンと象』
少しづつ公開している応募作がなくなった作品のひとつです。愛媛新聞超ショートショート用に書き溜めていた作品です。
アイデアとしてはダジャレです。
何度か書いていますが、ダジャレはできるだけ元の言葉から離れるのが良いです。そう意味では本作では離れ方が足りません。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『ライオンと象』 齊藤想
地元の動物園は、ライオンと象のエリアが並んでいる。
意中の正志君と初めてのデートの日。なぜか「ライオンと象の前で待ち合わせ」と指定された。
普通は動物園の入口か駅だろうと思ったけど、何かのサプライズかもしれない。
私は時間通りにじっと待つ。正志君は来ない。1時間がたってベンチに座る。2時間たって芝生に腰を下ろす。
陽が傾きかけてきた。私は悲しくなった。実は少し気が付いていた。私は女性としての魅力が少ない。ライオンのような顔をしているし、象のように大きい。
ライオンと象の前で待ち合わせ、というのも揶揄されただけなのだ。
閉園時間が近づいてきた。もう諦めよう。そう思って立ち上がろうとしたときに、若い男性が全力で走ってくるのが見えた。
正志君だ。正志君は息を切らしながら、こう言った。
「ライオンの像の前で待ち合わせしたはずなのに、いないから、もしかしてと思って」
「ライオンの像?」私は携帯を見た。何度も着信が入っている。
「そう、デパートの前だ。それがまさか動物園と勘違いするなんて。せっかくだから、ナイトズーのチケットを取っておいたけど、夜も大丈夫だよね?」
私は小さくうなずいた。
素敵な夜になりそうだった。
―――――
アイデアとしてはダジャレです。
何度か書いていますが、ダジャレはできるだけ元の言葉から離れるのが良いです。そう意味では本作では離れ方が足りません。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は2/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『ライオンと象』 齊藤想
地元の動物園は、ライオンと象のエリアが並んでいる。
意中の正志君と初めてのデートの日。なぜか「ライオンと象の前で待ち合わせ」と指定された。
普通は動物園の入口か駅だろうと思ったけど、何かのサプライズかもしれない。
私は時間通りにじっと待つ。正志君は来ない。1時間がたってベンチに座る。2時間たって芝生に腰を下ろす。
陽が傾きかけてきた。私は悲しくなった。実は少し気が付いていた。私は女性としての魅力が少ない。ライオンのような顔をしているし、象のように大きい。
ライオンと象の前で待ち合わせ、というのも揶揄されただけなのだ。
閉園時間が近づいてきた。もう諦めよう。そう思って立ち上がろうとしたときに、若い男性が全力で走ってくるのが見えた。
正志君だ。正志君は息を切らしながら、こう言った。
「ライオンの像の前で待ち合わせしたはずなのに、いないから、もしかしてと思って」
「ライオンの像?」私は携帯を見た。何度も着信が入っている。
「そう、デパートの前だ。それがまさか動物園と勘違いするなんて。せっかくだから、ナイトズーのチケットを取っておいたけど、夜も大丈夫だよね?」
私は小さくうなずいた。
素敵な夜になりそうだった。
―――――
2025年01月06日
【掌編】齊藤想『酒店にて』(ChatGPT:84点)
「2024さばえ近松文学賞」に応募した作品です。
募集内容は恋愛小説で、物語のどこかで鯖江に関する「歴史」、「文化」、「産業」を入れる必要があります。
さばえ近松文学賞に応募しようと決めたとき、まずは前回受賞作を順番に読むことにしました。その結果、鯖江といえばメガネということで、メガネを登場させた作品が目立ちました。また、募集内容は恋愛小説ですが、受賞作の傾向はばらけており、間口が広いという印象も持ちました。
ここからは対策です。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は1/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
―――――
『酒店にて』 齊藤 想
売り上げを伸ばすコツは、来店されたお客様に声をかけて商品を勧めることではない。お客様の話を聞き出すことだ。
里奈が若くして駅前の酒店の店長に抜擢されたのは、話を聞きだす技術を磨いてきたからだ。店長に就任してまだ半年だが、前任者より売り上げを伸ばし、いまやチェーン店内の売り上げランキングで上位に食い込んでいる。
閉店まであと五分。里奈が閉店準備をしていたら、銀髪の紳士が入店してきた。
紳士は高級スーツに身を包み、袖口からはロレックスがのぞいている。細身のネクタイには都会的なセンスを感じる。
身なりからすると、最低でも大企業の重役クラスだろう。東京から出張してきて、ホテルで飲むための地酒を探しに来たというところだろうか。
紳士は日本酒コーナーに向かうと、ひとつひとつ、丁寧にラベルを確かめている。
里奈のチェーン店では、日本酒は値段別に置かれている。求める銘柄がある顧客には不便だが、お手頃価格で美味しい日本酒を求めるお客様には便利なシステムだ。
服装からして紳士は高級ゾーンから選ぶのかとおもいきや、紳士はそのひとつ手前から物色を始めた。紳士は一本ずつ取り出すと、ラベルを見て、残念そうに棚に戻す。
里奈がその紳士を見るのは始めてだ。
去年は仕入れたが、今年は取りやめた銘柄はたくさんある。自分で仕入れを選べないチェーン店の悲しさだ。
だからこそ、里奈はお客様の声を集めなければらない。これが現場を預かる店長の仕事であり、デスクで数字だけを見ている本社にはできない仕事だ。
里奈は、適切な距離を保ちながら、斜め後ろから声をかける。お客様に警戒心を起させないゴールデンゾーンだ。
「仕入れる銘柄が変わってしまい申し訳ありません。大切なお品でしたら、お取り寄せすることも可能ですが」
紳士は驚いたような表情で振り返った。胸元のネームプレートに視線を感じる。
「ああ、うん。ありがとう。それにしても随分と若い店長なんですね」
「数カ月前に店長になったばかりなので、まだまだ勉強中の身です。お客様は出張で来られたのですか?」
答えやすい質問を挟むのが、お客様の声を引き出すコツだ。紳士はかぶりをふった。
「実は出張先から帰ってきたばかりなんだよ。出張と言っても、東京に数カ月滞在して、たまに家に帰ってくる感じなんだけどね」
紳士は少し寂しそうな顔をした。里奈は丁寧に頭を下げた。
「そうでしたか。出張帰りでお疲れのところに声をかけて申し訳ありません」
「いやいや」と紳士は笑顔になった。
「地元で声をかけてもらえるのは、嬉しいものですよ。石川啄木の短歌でもあったよね。”訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きゆく”ってね」
出張帰りだから、すぐにでも家に帰りたいはずだ。長話は迷惑かなと気にしていたら、紳士から話を続けてきた。
「閉店間際なのに、私のおしゃべりに付き合わせて悪いね。私が探していたのは、五百万石からできた日本酒なんだ」
五百万石は地元で産出する酒造好適米だ。北陸を中心に普及し、大粒で心白発現率は高い。ただ心白が大きく高精白になると割れやすいため、高級酒には不向きとされている。
高級日本酒には欠かせない「山田錦」にこだわるお客様は多いが、「五百万石」を指定するお客様は珍しい。
里奈は、紳士の話に興味を覚えた。
「実はねえ……と、この話をすると長くなってしまうかな」
里奈は意気込んだ。
「これも勉強です。私の時間は大丈夫ですので、ぜひとも教えてください。もし、お客様のお時間が許されるのでしたら」
里奈は時計を見ないことにした。親しみやすさを強調するために、イントネーションも地元モードにチェンジした。
「うん、そうだね。あのひとへの土産話にもなるし、たまにはいいかな。笑わないで聞いてくれたら嬉しいな」
里奈の雰囲気を感じたのか、紳士は少しづつ昔話を始めた。
五百万石は、自分にとってかけがえのない酒造好適米なんだよ。
私は地元の酒米農家出身で、そのときに交際していた彼女も同じく酒米農家だった。両親は二人は結婚するものだと思い込み、結納の日付まで決めようとするぐらいだった。
だが、そのときの私はまだ若かった。それに、思春期特有の親が引いたレールに反発したい気持ちもあった。
「おれは、こんな田舎では終わらない」
そう宣言して、東京に飛び出した。
東京は地元とは別世界だった。ありとあらゆる一流品が集まってくる。物も酒も、そして女性も。
実家が作っていたのは、北陸の風土に適した酒造好適米の五百万石だ。だが、東京に来てみると五百万石は二流米扱いで、兵庫県産山田錦の大吟醸でなければ日本酒ではないという雰囲気だった。
当時の自分は、それで完全に勘違いしてしまった。やっぱり田舎ではだめだ。東京に出て正解だった。本物を知るには、やはり都会でなければと。
女性の好みも変った。私は彼女を捨て、金髪の元雑誌モデルと交際を始めた。彼女はありとあらゆる一流品を知っていた。
私が勤めていた証券会社は時流に乗って急成長し、地位も収入も右肩上がりだった。だから、いまから思えば散財とした思えないような行為にも金銭的に耐えられた。
私が捨てた彼女は、地元農家の御曹司と結婚した。その知らせがハガキで届いたとき、軽い胸の痛みを覚えたが、私はそのハガキを丸めて捨てた。
それから何十年も、地元のことも、彼女のことも、五百万石も忘れて過ごしてきた。むしろ、見下して生活してきた。
転機が訪れたのは、勤務先である証券会社の倒産だ。時流にのった会社は、時流に見捨てられるのも早い。金髪の元雑誌モデルとは一番景気の良いときに結婚したが、証券会社が傾くともに離婚した。
この別れは、どちらが悪いというわけではない。ただ、二人で夢を見ていたんだ。虚像という悲しい夢を。
私はひとりになって、ようやく気がついた。私が必要としていたのは、華やかな兵庫県産山田錦の大吟醸ではなく、地元産の五百万石を丁寧に仕込んだ日本酒であることを。金髪の元雑誌モデルではなく、地元産酒造好適米を守り続けている彼女だということを。
もちろん山田錦が悪いわけでも、金髪の元雑誌モデルが劣っているわけでもない。
ただ、私が東京で追い求めたものは、本当に自分が必要としているものではなかった。当時の自分は、東京の華やかさに踊らされて、自分を見失っていたんだ。
私は手痛い失敗を反省し、いままでの経験を活かして、新しい証券会社を設立することにした。虚像を追うことなく、良心に従い、限られた資産を着実に増やすお手伝いをする会社だ。
本店は東京ではなく地元に置いた。ただ、どうしても仕事は東京が中心となる。顧客や取引先のほどんどが関東在住だ。だから東京に長期間出張して、たまに地元へ帰る生活を続けている。
それで、今日は大切なひとと一緒に飲むために、地元産の五百万石で作られた日本酒を買って帰りたかったんだ。
語り終えると、紳士は恥ずかしそうな顔をした。
「ずいぶんと、つまらない話をしてしまったね。このスーツも時計も、都内の顧客向けの悲しいはったりだから」
「そんなことないです。それに、お客様にぴったりの日本酒がここにあります」
里奈は商品棚の下から、地元産五百万石を丁寧に磨き上げた日本酒を取り出した。店長権限で入荷し、一本だけ残しておいた人気商品だ。ラベルを見て、紳士の目が輝く。
「私が求めていたのは、まさにこれだよ。この銘柄には、あの人が作ってくれた五百万石が使われていると聞いたことがあってね」
「お客様がいうあのひととは……」
「高校時代の彼女だよ。女々しいと言われるかもしれないけど、どうしても忘れられなくてね。特に彼女が亡くなったあとは」
彼女が故人であることに里奈は驚いた。紳士の目が遠くに向けられる。
「脳溢血だった。遺伝的に脳の血管が弱かったらしい。お葬式のときに旦那に呼び止められてね、妻は貴方のことを誇りに思っていた、地方から東京に飛び出して成功をつかみ取ったひとだと。それを聞いたとき、私は恥ずかしくなった。だから、地元に戻ると、日本酒を傾けながら心の彼女と会話するのです。本当にすごいのは、五百万石を守り続けた彼女だったよ、とね」
紳士から受け取った代金は、体温が伝わるほど温かかった。
「心の彼女の会話するときだけ、この高級時計とスーツを脱げるです」
そう言うと、商品を手にした紳士は、町の闇へと消えていった。里奈は閉店時間が過ぎているのも忘れて、紳士の背中をずっと見送り続けていた。
―――――
募集内容は恋愛小説で、物語のどこかで鯖江に関する「歴史」、「文化」、「産業」を入れる必要があります。
さばえ近松文学賞に応募しようと決めたとき、まずは前回受賞作を順番に読むことにしました。その結果、鯖江といえばメガネということで、メガネを登場させた作品が目立ちました。また、募集内容は恋愛小説ですが、受賞作の傾向はばらけており、間口が広いという印象も持ちました。
ここからは対策です。
ということで、具体的な技法はこちらの無料ニュースレターで紹介します。次回は1/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
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『酒店にて』 齊藤 想
売り上げを伸ばすコツは、来店されたお客様に声をかけて商品を勧めることではない。お客様の話を聞き出すことだ。
里奈が若くして駅前の酒店の店長に抜擢されたのは、話を聞きだす技術を磨いてきたからだ。店長に就任してまだ半年だが、前任者より売り上げを伸ばし、いまやチェーン店内の売り上げランキングで上位に食い込んでいる。
閉店まであと五分。里奈が閉店準備をしていたら、銀髪の紳士が入店してきた。
紳士は高級スーツに身を包み、袖口からはロレックスがのぞいている。細身のネクタイには都会的なセンスを感じる。
身なりからすると、最低でも大企業の重役クラスだろう。東京から出張してきて、ホテルで飲むための地酒を探しに来たというところだろうか。
紳士は日本酒コーナーに向かうと、ひとつひとつ、丁寧にラベルを確かめている。
里奈のチェーン店では、日本酒は値段別に置かれている。求める銘柄がある顧客には不便だが、お手頃価格で美味しい日本酒を求めるお客様には便利なシステムだ。
服装からして紳士は高級ゾーンから選ぶのかとおもいきや、紳士はそのひとつ手前から物色を始めた。紳士は一本ずつ取り出すと、ラベルを見て、残念そうに棚に戻す。
里奈がその紳士を見るのは始めてだ。
去年は仕入れたが、今年は取りやめた銘柄はたくさんある。自分で仕入れを選べないチェーン店の悲しさだ。
だからこそ、里奈はお客様の声を集めなければらない。これが現場を預かる店長の仕事であり、デスクで数字だけを見ている本社にはできない仕事だ。
里奈は、適切な距離を保ちながら、斜め後ろから声をかける。お客様に警戒心を起させないゴールデンゾーンだ。
「仕入れる銘柄が変わってしまい申し訳ありません。大切なお品でしたら、お取り寄せすることも可能ですが」
紳士は驚いたような表情で振り返った。胸元のネームプレートに視線を感じる。
「ああ、うん。ありがとう。それにしても随分と若い店長なんですね」
「数カ月前に店長になったばかりなので、まだまだ勉強中の身です。お客様は出張で来られたのですか?」
答えやすい質問を挟むのが、お客様の声を引き出すコツだ。紳士はかぶりをふった。
「実は出張先から帰ってきたばかりなんだよ。出張と言っても、東京に数カ月滞在して、たまに家に帰ってくる感じなんだけどね」
紳士は少し寂しそうな顔をした。里奈は丁寧に頭を下げた。
「そうでしたか。出張帰りでお疲れのところに声をかけて申し訳ありません」
「いやいや」と紳士は笑顔になった。
「地元で声をかけてもらえるのは、嬉しいものですよ。石川啄木の短歌でもあったよね。”訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きゆく”ってね」
出張帰りだから、すぐにでも家に帰りたいはずだ。長話は迷惑かなと気にしていたら、紳士から話を続けてきた。
「閉店間際なのに、私のおしゃべりに付き合わせて悪いね。私が探していたのは、五百万石からできた日本酒なんだ」
五百万石は地元で産出する酒造好適米だ。北陸を中心に普及し、大粒で心白発現率は高い。ただ心白が大きく高精白になると割れやすいため、高級酒には不向きとされている。
高級日本酒には欠かせない「山田錦」にこだわるお客様は多いが、「五百万石」を指定するお客様は珍しい。
里奈は、紳士の話に興味を覚えた。
「実はねえ……と、この話をすると長くなってしまうかな」
里奈は意気込んだ。
「これも勉強です。私の時間は大丈夫ですので、ぜひとも教えてください。もし、お客様のお時間が許されるのでしたら」
里奈は時計を見ないことにした。親しみやすさを強調するために、イントネーションも地元モードにチェンジした。
「うん、そうだね。あのひとへの土産話にもなるし、たまにはいいかな。笑わないで聞いてくれたら嬉しいな」
里奈の雰囲気を感じたのか、紳士は少しづつ昔話を始めた。
五百万石は、自分にとってかけがえのない酒造好適米なんだよ。
私は地元の酒米農家出身で、そのときに交際していた彼女も同じく酒米農家だった。両親は二人は結婚するものだと思い込み、結納の日付まで決めようとするぐらいだった。
だが、そのときの私はまだ若かった。それに、思春期特有の親が引いたレールに反発したい気持ちもあった。
「おれは、こんな田舎では終わらない」
そう宣言して、東京に飛び出した。
東京は地元とは別世界だった。ありとあらゆる一流品が集まってくる。物も酒も、そして女性も。
実家が作っていたのは、北陸の風土に適した酒造好適米の五百万石だ。だが、東京に来てみると五百万石は二流米扱いで、兵庫県産山田錦の大吟醸でなければ日本酒ではないという雰囲気だった。
当時の自分は、それで完全に勘違いしてしまった。やっぱり田舎ではだめだ。東京に出て正解だった。本物を知るには、やはり都会でなければと。
女性の好みも変った。私は彼女を捨て、金髪の元雑誌モデルと交際を始めた。彼女はありとあらゆる一流品を知っていた。
私が勤めていた証券会社は時流に乗って急成長し、地位も収入も右肩上がりだった。だから、いまから思えば散財とした思えないような行為にも金銭的に耐えられた。
私が捨てた彼女は、地元農家の御曹司と結婚した。その知らせがハガキで届いたとき、軽い胸の痛みを覚えたが、私はそのハガキを丸めて捨てた。
それから何十年も、地元のことも、彼女のことも、五百万石も忘れて過ごしてきた。むしろ、見下して生活してきた。
転機が訪れたのは、勤務先である証券会社の倒産だ。時流にのった会社は、時流に見捨てられるのも早い。金髪の元雑誌モデルとは一番景気の良いときに結婚したが、証券会社が傾くともに離婚した。
この別れは、どちらが悪いというわけではない。ただ、二人で夢を見ていたんだ。虚像という悲しい夢を。
私はひとりになって、ようやく気がついた。私が必要としていたのは、華やかな兵庫県産山田錦の大吟醸ではなく、地元産の五百万石を丁寧に仕込んだ日本酒であることを。金髪の元雑誌モデルではなく、地元産酒造好適米を守り続けている彼女だということを。
もちろん山田錦が悪いわけでも、金髪の元雑誌モデルが劣っているわけでもない。
ただ、私が東京で追い求めたものは、本当に自分が必要としているものではなかった。当時の自分は、東京の華やかさに踊らされて、自分を見失っていたんだ。
私は手痛い失敗を反省し、いままでの経験を活かして、新しい証券会社を設立することにした。虚像を追うことなく、良心に従い、限られた資産を着実に増やすお手伝いをする会社だ。
本店は東京ではなく地元に置いた。ただ、どうしても仕事は東京が中心となる。顧客や取引先のほどんどが関東在住だ。だから東京に長期間出張して、たまに地元へ帰る生活を続けている。
それで、今日は大切なひとと一緒に飲むために、地元産の五百万石で作られた日本酒を買って帰りたかったんだ。
語り終えると、紳士は恥ずかしそうな顔をした。
「ずいぶんと、つまらない話をしてしまったね。このスーツも時計も、都内の顧客向けの悲しいはったりだから」
「そんなことないです。それに、お客様にぴったりの日本酒がここにあります」
里奈は商品棚の下から、地元産五百万石を丁寧に磨き上げた日本酒を取り出した。店長権限で入荷し、一本だけ残しておいた人気商品だ。ラベルを見て、紳士の目が輝く。
「私が求めていたのは、まさにこれだよ。この銘柄には、あの人が作ってくれた五百万石が使われていると聞いたことがあってね」
「お客様がいうあのひととは……」
「高校時代の彼女だよ。女々しいと言われるかもしれないけど、どうしても忘れられなくてね。特に彼女が亡くなったあとは」
彼女が故人であることに里奈は驚いた。紳士の目が遠くに向けられる。
「脳溢血だった。遺伝的に脳の血管が弱かったらしい。お葬式のときに旦那に呼び止められてね、妻は貴方のことを誇りに思っていた、地方から東京に飛び出して成功をつかみ取ったひとだと。それを聞いたとき、私は恥ずかしくなった。だから、地元に戻ると、日本酒を傾けながら心の彼女と会話するのです。本当にすごいのは、五百万石を守り続けた彼女だったよ、とね」
紳士から受け取った代金は、体温が伝わるほど温かかった。
「心の彼女の会話するときだけ、この高級時計とスーツを脱げるです」
そう言うと、商品を手にした紳士は、町の闇へと消えていった。里奈は閉店時間が過ぎているのも忘れて、紳士の背中をずっと見送り続けていた。
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