第29回伊豆文学賞に応募した作品その3です。
テーマから逆算して、技巧を凝らしてしみました。
「伊豆文学賞だから伊豆を褒めよう」からスタートして、伊豆とは真逆な山奥を物語の舞台としました。
光と影の対比みたいな感覚です。
これにノスタルジー色を出すために、ダム建設を絡ませています。
司馬遼太郎『街道をゆく』に、学生時代にお世話になったお寺を探したら、いまはダムの底だったという話があります。
この話をイメージしながら書きましたが、かなりズレてしまったような(汗)
こんな感じで、具体的な技法を無料ニュースレターで紹介します。
次回は3/5発行です。
・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!
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『T氏の思い出』 齊藤 想
関東近郊の山村で、ダム建設のための家屋移転交渉をしているときの話である。
交渉相手は、プレハブ小屋で一人暮らしをしているT氏だ。上司と二人で伺うと、T氏は疎らになった前歯を見せながら「伊豆にいる息子夫婦から、同居しないかと誘われているんだよ」と言い始めた。
私は思わず聞き返した。
「息子がいるんですか?」
「まあ、数年に1度しか会わないけどな」
T氏はペットボトルの焼酎を湯のみでがぶ飲みしながら、私たちに答える。
私は上司と顔を見合わせた。息子夫婦との同居は上手くいかない。これはもう経験からくる直感のようなものだ。
T氏は風来坊のような男だ。中学を卒業したら進学せず山々の飯場を渡り歩き、日雇い労働者のような仕事を続けてきた。
それが二十年ほど前から、T氏は主要産業が公共事業であるこの山村に住み着いた。T氏はダンプトラックの運転手だ。仕事が多いこの土地が気に入ったらしい。
この山村には、昔からダム建設の計画があった。地元の反対が強くて暗礁に乗り上げていたが、ダム推進派の村長が当選したことで風向きが変わった。
そして、T氏のプレハブ小屋もダムの底に沈むことになり、移転対象となった。
T氏は反射式ストーブの上に置かれたやかんの中身を、湯のみに注いだ。ちなみに、中身は地元産の日本酒だ。
T氏は、私と上司にも”湯のみ”を勧めてきたが、丁重に断った。やかんの日本酒ほど危険なものはない。
T氏は湯のみの中身を一気に飲み干した。
「おれの財産はプレハブだけ。土地は他人のもの。新しい家を買えるわけがない」
「確かにそうですが」
「それで迷っていたら、伊豆の息子から連絡がきた。息子も結婚を機にマイホームが欲しい。ダムの補償金を注ぎ込めば、立派な2世帯住宅が建てられると」
「しかし、伊豆ですか」
「息子が言うには、伊豆は山が近くて、この村とよく似ている。だからお父さんも気に入る。そう誘ってくるんだよ」
私は慎重に言葉を選んだ。
「ところで、息子さんはこの村に来たことがありますか?」
T氏は首を横に振った。
「ないなあ。こっちはプレハブだし、恥ずかしくて呼べやしないさ」
私と上司は、息子の意思を確認するために伊豆へ向かった。住所を頼りにサボテン公園の脇をぬけ、坂道をひたすら歩く。
確かに山だ。しかし伊豆は海が近く、いわば明るい山だ。ダム現場の山村は、午後3時になると太陽が山に遮られ、海も遥か彼方という暗い山だ。
場所としては伊豆の方が遥かに良い。しかし、暗い山村で二十年以上過ごしてきたT氏が、明るい伊豆に適応できるのだろうか。
私と上司は、息子夫婦に挨拶をした。息子夫婦は小奇麗なアパートで、滔々と未来への計画を話し始める。土地も決めた。海が見える高台の場所だ。父もきっと喜んでくれる。快適な余生を過ごさせてあげたい。
息子は鼻にピアスをしていた。妻は派手なネイルをしている。
息子夫婦は、すでに建築プランも用意してあると、熱心に私と上司に説明する。
風光明媚な奇麗な家を見れば、T氏は喜ぶだろう。別荘としては最高だ。
だが、この地で生活するとなると、また別の話だ。しかも、世代も考え方も違う息子夫婦との同居なのだ。どうしても、明るい未来が浮かんでこない。
それからしばらくして、T氏の強い意志で移転補償契約を締結することとなった。補償金を手にしたT氏は、伊豆で息子夫婦との同居生活を始めた。
それから私も上司も転勤となったが、後任者からT氏の話を聞いた。予想通り息子夫婦との同居は破綻し、暗い山村に戻ってきた。ダム建設の現場で、ダンプトラックの運転手として働いているという。
息子夫婦に悪意があったわけでない。T氏も結末の予想はついていただろう。それでも、いままで親らしいことをしてやれなかった息子からの申し出に、あえて乗ったのかもしれない。
補償金の全てが、息子夫婦のマイホームに溶けて消えてた。
ダムが完成すると、T氏は仕事を失い、また別の山へと渡っていた。
いまは全てが、ダムの底に沈んでいる。
その後のT氏の行方を知るものは、だれもいない。
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2026年02月16日
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