2025年07月21日

【SS】齊藤想『走馬灯』_ChatGPT85点

第12回小説でもどうぞ!W選考委員版に応募した作品です。テーマは「贈り物」でした。
自分がときおり書く死刑執行ネタです。風変わりな死刑執行の手法をネタにすることもあれば、死刑執行の直前に回想するネタ、死刑を執行する側の視点のネタもあります。
本作は回想ネタを使っています。
いろいろな伏線も貼っていますが、ラストで「もしかしたら、いままでの人生も全て走馬灯だったのかもしれない」というフレーズを入れることで、いわば「夢の夢」的な効果を狙ってみました。
幻想的な雰囲気を醸し出してから、急に訪れる死という落差も意識しています。
西武ライオンズで一世を風靡した潮崎のシンカーみたいなイメージで書いてみたのですが、いかがでしょうか。

こんな感じで、具体的な技法を無料ニュースレターで紹介します。
次回は8/5発行です。



・基本的に月2回発行(5日、20日※こちらはバックナンバー)。
・新規登録の特典のアイデア発想のオリジナルシート(キーワード法、物語改造法)つき!

―――――

 『走馬灯』 齊藤 想

 歌上日道は、死の間際になって「走馬灯は仏様からの贈り物だ」という祖父の言葉を思い出した。
 思えば祖父は厳しいひとだった。
 実家は浄土真宗のお寺だ。長男がお寺の住職を継ぐと決められていたので、幼いころから仏道の教えを叩きこまれた。同時に、檀家への挨拶、境内の清掃と、子どものころから遊ぶ暇もないほど仕事を押し付けられた。
 お寺の裏側には広大な寺院墓地がある。この寺院墓地からの収入が家計を支えているが、この墓地の掃除がとりわけ苦痛だった。
 祖父は大切な檀家には、定期的に墓石の拭き掃除をするように命じた。冬は手が凍るように冷たい。それでも祖父の命令は絶対だ。日道は両手をあかぎれまみれにしながら、墓石の拭き掃除を続けた。
 毎日の食事は精進料理で、味は薄く、肉類もない。育ち盛りの子どもには、とりわけ苦しい。
 日道が給食を犬のように貪り食べる様子を見て、同級生たちが笑った。人の目など気にしてられない。それだけ、生きるのに必死だった。
 中学生になったとき、祖父は急死した。
 父の代になれば少しは楽になるだろう。そう思っていた日道の期待は裏切られた。
 表向きの祖父は吝嗇だったが、蓋を開けてみるとお寺の経営は火の車だった。祖父は装身具に金銭を湯水のように費やしており、意味不明な使途不明金もたくさんでてきた。
 宗教活動には税金がかからないが、寺の敷地の一部を利用して行っている駐車場経営は法人税の対象だ。なのに、この税金も滞納している。
 父はやむなく管理料の支払いが滞っている墓地の整理を強行した。墓地区画の新規募集で経営の立て直しを図ったのだ。
 各方面からの批判の矢面にたたされたのは、日道だった。父は会合だ、税務署だとお寺を不在にすることが多く、独り立ちの準備と称して嫌な仕事を全て日道に押し付けた。
 急に墓石がなくなった親族からのクレームが続いた。日道が調べると、ただ単に管理料の改定を通知せず、振込代金の不足を理由に撤去を決めた例が次々とでてきた。
 トラブル続きに檀家は離れ、仕事は減り、本山から監査が入るとの噂もたった。地獄のような日々が続く。
 父は頼りにならないどころか、雲隠れを続けるありさま。噂によると、女のいる店に出入りしているらしい。
 騒動が続く中で、日道が父の居場所を見つけた途端に、父はぽっくりと亡くなった。代が変わったことで本山からの懲戒処分の話は立ち消えとなり、檀家もいささか落ち着きを取り戻した。
 日道は、若いときはお寺から離れることばかり考えていた。けど、ここまで手に染めた以上、お寺を引き継ぐしかない。
 日道は経営の改善に乗り出した。駐車場は売ろう。葬儀屋に営業をかけて仕事を増やそう。檀家を奪うという不道徳な行為をした近隣の住職たちが、次々と冥土に召されたことも追い風となった。
 衣食住足りて礼節を知る、という言葉がある。経済面が満たされたことで、日道にも心の余裕がでてきた。
 これからは仏道に邁進しよう。四季を楽しみ、心穏やかな清廉潔白な日々を送ろう。過去の出来事は全て忘れ去ろう。
 こうして修行に励んでいると、見知らぬ男が日道の元を訪れた。
 その男は一枚の薄っぺらな紙を日道に示しながら、こう告げた。
「あなたを連続殺人容疑で逮捕します」

 走馬灯はまだ続いている。
 これが仏様からの贈り物なら、仏様はろくでもないことをする。
 いままでの日道に、どのような選択肢があったのだろうか。祖父からの虐待が続けば、修行の名目で殺されかねない。父を放置すれば、お寺を失っていただろう。近隣の住職を消したのは、うちの檀家を奪った報復とともに、お寺の経営を立て直すためのやむを得ない措置だ。
 反省しろという意図ならば、絶対に首を縦にふらない。死ぬ前に反省してなんの意味があるのか。反省は生きてこそ意味がある。
 それにしても、なんと長い一瞬なのだろうか。まるで、三十年の人生を三十年かけて繰り返しているかのようだ。
 もしかしたら、いままでの人生も全て走馬灯だったのかもしれない。仏様は、走馬灯を通じてやり直しのチャンスを与えてくれた。これこそ、本当の仏様からの贈り物。
 しかし、全ては手遅れだ。
 耳元に、不気味なブザーが鳴り響く。
 足元の板は、もうない。

―――――
posted by 齊藤 想 at 21:00| Comment(0) | 自作ショートショート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください