周囲による冤罪圧力の恐ろしさを実感するルポです。
福岡県「殺人教師」事件がメディアを賑わしたのは、平成15年でした。
少し引っ込み思案だった平凡な教師が、ある日、保護者からの「うちの子供が差別と体罰を受けた」とのクレームにより、歯車が狂い始めます。
保護者が主張する体罰はひどい物で、教師には身に覚えのないことです。
「アメリカ人の血が流れている。お前の血が穢れている」と教師から言われてショックを受けたと主張されます。
保護者からの執拗なクレームにより、事なかれ主義の校長・教頭、さらには教育委員会により教師は圧力にさらされ、本意では無いものの「事とを納めるため」に一部事実関係を認めて謝罪します。
この辺りの描写は痛々しく、読んでいるこちら側が辛くなってきます。
しかし保護者からのクレームは収まらず、六ヶ月間の停職処分。さらにはマスコミからの取材、訴訟提起にいたり、教師は反撃することを決意します。
保護者側は「体罰教師に立ち向かう保護者」という図式を作ることに成功し、550人もの大弁護団を結成することに成功します。
この状況に教師も必死になって弁護士を探しますが、この四面楚歌の状況に引き受け手が見つからず、絶体絶命の危機に陥ります。
しかし、ここでひとりの弁護士が立ち上がります。
以降は次から次へと保護者側の嘘が明らかになり、実質的には教師側の全面勝訴に終わります。
しかも核心だった「アメリカ人の血が流れている」は虚構であることが明らかになります。
教師を「殺人教師」と加熱する報道をしたマスコミたちは、一部は反省の色を見せたものの、検証報道はなされず、言った物勝ち状態です。
教師が職場復帰できたのが救いですが、彼が受けた被害はまったく回復されません。
本件ですが、初期対応の失敗の典型例だと思います。
普段の教師の様子を把握していれば、保護者からの不当なクレームであることは容易に判断できたと思います。
その方向で事実関係の確認、調査並びに上部機関や弁護士等に相談をかけていれば、冤罪は防げたと考えられます。
無実の教師を守れなかった校長並びに教育委員会の責任は大変に重いと思います。
著者はメディアへの疑問も呈しています。
取材していれば保護者の主張に疑問を持つのが当然であり、一方的に断罪したメディアの責任の重さ、さらにはその後の報道がなされないことについて、皮肉を込めた筆調で語っています。
教師弾劾に向けての旗を振った記者や、誤診をした医師にも取材しています。
本件は校長や教育委員会が「体罰を認めている」という事情があったにしろ、その後の影響を考えると、もう少しまともな判断力はなかったのかなと思います。少し考えれば「ありえない」と思うのが普通なので。
あと、個人的には550人もの大弁護団が結成されたことに、疑問を感じます。
なにせ相手は単なる教師で有り、1個人です。組織もなにもありません。
これはもう、弁護士によるリンチです。威圧です。この圧力のせいで、教師はなかなか弁護士を見つけることができませんでした。
一度”事実”がゆがめられると、二度と取り戻せない悲劇を巻き起こす恐ろしさを実感します。
だれの身にもふりかかる恐れがある、現代の恐怖だと思います。
渾身のルポを読みたいひとのために!
2025年07月10日
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