沢村栄治を始めとする戦死した野球人7人の物語です。
7人のうち6人がプロ野球です。沢村栄治や景浦将といった名選手でも、戦場の過酷さゆえか、復帰後は大きく成績を落としています。
野球を続けていれば、多くの人たちに感動と勇気を与えていたと思うだけに、残念な気持ちで一杯です。
本書で取り上げられた選手たちを紹介しておきます。
・新富卯三郎
巨人軍第1期選手で、米国遠征にも参加。召集から復帰後は阪急入団。再収集されてビルマで戦死。
・景浦将
あぶさんのモデルとして有名。投打の二刀流として、沢村栄治とならぶトップ選手。
召集され中国戦線に派遣され復帰するも自慢の肩も弱くなり、体がガタガタになっていたという。
再召集されマニラ近郊で食料探しに出かけ不帰との伝。
・沢村栄治
沢村賞に名を残す伝説の投手。召集後は球威が落ちて技巧派となり、再召集後はさらに衰えて打ち込まることが多くなり、昭和19年に解雇される。
フィリピンに向かって移動中に、輸送艦が潜水艦に撃沈され、戦死。
地元でもその名前が薄れかけているのが残念。
・吉原正喜
強肩強打の捕手で、高校時代は川上哲治とバッテリーを組んでいた。
1年だけだが、フィリピン人選手がいたことに驚き。
インパール作戦に従軍し、マンダレー北方200kmのウントで戦病死したとか。
・島清一
甲子園で5連続完封、準決勝・決勝でノーヒットノーランという快投を見せる。
輸送船を守る海防鑑に乗艦し、潜水艦に撃沈され戦死。
・林安夫
朝日軍のエースで、「どうせ戦争で兵隊に取られるから」と投げ続け、シーズン投球回数541・1/3、先発試合44といまも残るとんでもない記録を作る。
召集されフィリピンで戦死するが、詳細は不明。
・石丸進一
プロ野球選手で唯一の神風特攻隊。名古屋軍の看板投手。兄もプロ野球で、史上初の兄弟選手となる。
神風特攻隊として、昭和20年5月11日、沖縄の海に飛び立つ。
最後のキャッチボールのエピソードが有名。
戦場に散った名選手たちの物語を知りたいひとのために!
2024年07月11日
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