西山女王の先勝で迎えた第2局です。
〔主催者HP〕
https://book.mynavi.jp/shogi/mynavi-open/
福間女流五冠にとって、マイナビ女子オープンは鬼門です。
タイトル挑戦決定時で通算59期を誇るのに、マイナビ女子オープンだけはわずか1期です。
番勝負登場も4回で、トーナメント戦の途中での敗退が続いています。
タイトル戦で勝利したのは上田初美だけで、加藤女流四段に1回、西山女王には2回敗れています。
女流棋界の頂点に君臨する福間女流五冠ですが、マイナビ女子オープンだけ相性が悪い理由はまったくもって謎です。
さあ福間女流五冠はマイナビ女子オープンで勝利して、苦手を払しょくすることができたでしょうか!
〔棋譜〕
https://book.mynavi.jp/shogi/mynavi-open/result/18/mynavi202504150101.html
ということで将棋です。
西山女王の先手で、お互いに進みなれた相振り飛車になります。
ですが、この相振り飛車は福間ワールドの相振り飛車です。
後手は玉を囲うことなく5三を経由して銀をどんどん前に出し、さらに左金も前線に出動という定跡無視のまさに力戦です。
福間女流五冠はポナンザ囲いに収まると、金銀4枚の堅陣に正面からアタックです。
この攻めが先手陣にモロにヒットして、先手だけ終盤という苦しい将棋です。
西山女王も後手陣に迫りますが、福間女流五冠は持ち時間を30分以上残して、長手数の即詰みを読み切りです。
西山女王としたら、序盤の構想ミスが最後まで響いてしまったのかもしれません。
これで1勝1敗のタイとなりました。
第3局は5月18日(日)に神奈川県藤沢市「時宗総本山 遊行寺」で行われます!
2025年04月15日
【映画】プロメテウス
エイリアンシリーズの5作目で、なかなかの傑作SFです。
監督は1作目でメガホンを取ったリドリー・スコット。
1979年から35年ぶりにエイリアンシリーズ復帰です。
冒頭は謎の白男のシーンから始まります。そこから本編に移ります。
メインストーリーはある大企業による一大プロジェクトです。
主人公は女性研究者です。
世界各地の遺跡を分析した結果、人類の始祖はある惑星からもたらされた可能性が浮上しました。
そのためある企業が資金を出し、研究者をその宇宙のかたなに送り込み探索を開始します。
人工物と思われる洞窟を探索すると、ときおり表れるホログラムに謎の生物。
その生物がエイリアンの元で、乗務員たちは次々と襲われます。
宇宙船には企業から送り込まれた監視役と、ロボットもいます。そのロボットは親切で人間に優しいのですが、その裏面で密命を帯びています。
そうした様々な謎を抱えつつ、映画は進んでいきます。
このプロジェクトに資金を提供した会社ですが、その代表である老人が宇宙船に乗り込んでいました。
ロボットの目的は、代表と人類の始祖を遭遇させること。そのために洞窟内を調べることです。
老人は唯一生き残った始祖と会うことができましたが、その始祖は(白男)は凶暴で、ロボットは破壊され、代表は殺害されます。
この惑星は、始祖の母星ではなく、生物兵器を作るための工場でした。始祖の一族は、その生物兵器のためにひとりを残して殺害されていたのです。
目覚めた始祖は、新たなる創造をするために、地球を破壊するために旅立とうとします。
宇宙船の船長は始祖の行動を止めるために、体当たりで始祖の宇宙船を破壊します。
ひとり生き残った女性研究者は、始祖の母星へと旅立つことを決意します。
という感じの映画ですが、「人類の始祖=神との会話を目指す」という目的の壮大さが良いですし、その壮大な目的の影に隠れた様々な謎の配置もよいです。
これは見ていくとどんどん引き込まれるSFです。
描写はけっこうグロイシーンがあり、特に女性研究者の腹からエイリアンの胎児を取り出すところは、見ているだけで痛いです。
けど、グロイ描写そのものが目的ではなく、ストーリー上の必要性があっての描写なので嫌悪感はないです。
SF映画の弱点は、設定の複雑さですが、本作は設定がすっきりと整理されて余計な脇道がないので、そうしたSFの弱点がありません。
嵐に巻き込まれたり、途中で2人がはぐれたり、白男から必死に逃げたり、割れ目を飛び越えたり、酸素が少なる中で必死に移動したりと、そうした細かいアクションシーンを入れることでストーリーにテンポを与えています。
超老人である代表をガイ・ピアーズが演じていますが、まったく違和感がなく、演技力にも感服です。
製作費が1億30百万ドルで、興行収入4億03百万ドルなので大成功だと思います。
傑作SFホラーを楽しみたいひとのために!
監督は1作目でメガホンを取ったリドリー・スコット。
1979年から35年ぶりにエイリアンシリーズ復帰です。
冒頭は謎の白男のシーンから始まります。そこから本編に移ります。
メインストーリーはある大企業による一大プロジェクトです。
主人公は女性研究者です。
世界各地の遺跡を分析した結果、人類の始祖はある惑星からもたらされた可能性が浮上しました。
そのためある企業が資金を出し、研究者をその宇宙のかたなに送り込み探索を開始します。
人工物と思われる洞窟を探索すると、ときおり表れるホログラムに謎の生物。
その生物がエイリアンの元で、乗務員たちは次々と襲われます。
宇宙船には企業から送り込まれた監視役と、ロボットもいます。そのロボットは親切で人間に優しいのですが、その裏面で密命を帯びています。
そうした様々な謎を抱えつつ、映画は進んでいきます。
このプロジェクトに資金を提供した会社ですが、その代表である老人が宇宙船に乗り込んでいました。
ロボットの目的は、代表と人類の始祖を遭遇させること。そのために洞窟内を調べることです。
老人は唯一生き残った始祖と会うことができましたが、その始祖は(白男)は凶暴で、ロボットは破壊され、代表は殺害されます。
この惑星は、始祖の母星ではなく、生物兵器を作るための工場でした。始祖の一族は、その生物兵器のためにひとりを残して殺害されていたのです。
目覚めた始祖は、新たなる創造をするために、地球を破壊するために旅立とうとします。
宇宙船の船長は始祖の行動を止めるために、体当たりで始祖の宇宙船を破壊します。
ひとり生き残った女性研究者は、始祖の母星へと旅立つことを決意します。
という感じの映画ですが、「人類の始祖=神との会話を目指す」という目的の壮大さが良いですし、その壮大な目的の影に隠れた様々な謎の配置もよいです。
これは見ていくとどんどん引き込まれるSFです。
描写はけっこうグロイシーンがあり、特に女性研究者の腹からエイリアンの胎児を取り出すところは、見ているだけで痛いです。
けど、グロイ描写そのものが目的ではなく、ストーリー上の必要性があっての描写なので嫌悪感はないです。
SF映画の弱点は、設定の複雑さですが、本作は設定がすっきりと整理されて余計な脇道がないので、そうしたSFの弱点がありません。
嵐に巻き込まれたり、途中で2人がはぐれたり、白男から必死に逃げたり、割れ目を飛び越えたり、酸素が少なる中で必死に移動したりと、そうした細かいアクションシーンを入れることでストーリーにテンポを与えています。
超老人である代表をガイ・ピアーズが演じていますが、まったく違和感がなく、演技力にも感服です。
製作費が1億30百万ドルで、興行収入4億03百万ドルなので大成功だと思います。
傑作SFホラーを楽しみたいひとのために!
【書評】山村明義『日本をダメにするリベラルの正体』
日本式リベラルの問題点を厳しく指摘します。
本書は7章に分かれています。
「リベラル崩壊後の世界」「本当にダサい日本のリベラル」「日本会議バッシングの正体」「リベラル思想の暗黒史」「国民無視の護憲派の正体」「グローバリズムから脱却する日本独自の経済思想」「本当のリベラリズムは神道にある」
が、それぞれのタイトルです。
リベラルの格好悪さについては、第2章で書かれています。
>自分たちだけが「進歩的」「文化的」だと勝手に勘違いし、時代はどんどん先を走っているのにもかかわらず、リベラルな人たちが「自分たちはすごい」と思い込んでいるところです。
まさにこの通りで、だからこそ「自分たちが国民を啓蒙する」という発想につながるのでしょう。
リベラルは全体主義との親和性が高いことを伺わせます。
日本式リベラルについて、著者はこう説明します。
>外国人の思い通りの世界を「理想」として思い描き、日本に古来ある思想や文化を貶めることにより、自分たちの思想にまでしている人たち
言いえて妙だと思います。
またポリティカルコレネクトについての問題点も指摘しています。
>「マイノリティや弱者が常に正しい」という「原理主義」や「無謬性」にとらわれがち
>「リベラル以外の政治的な言葉や思想」を目の敵にし、(中略)自らに都合の良い「平等な社会」を作り上げようとして、
についても同感です。
排他性の強さ、非寛容なところ、なにより世界をひとつの思想・文化に染めようとする全体主義的なところが問題ではないかと考えてしまいました。
もう少し懐が広ければいいのに、とか思ったり。
リベラルの問題点を考えたいひとのために!
本書は7章に分かれています。
「リベラル崩壊後の世界」「本当にダサい日本のリベラル」「日本会議バッシングの正体」「リベラル思想の暗黒史」「国民無視の護憲派の正体」「グローバリズムから脱却する日本独自の経済思想」「本当のリベラリズムは神道にある」
が、それぞれのタイトルです。
リベラルの格好悪さについては、第2章で書かれています。
>自分たちだけが「進歩的」「文化的」だと勝手に勘違いし、時代はどんどん先を走っているのにもかかわらず、リベラルな人たちが「自分たちはすごい」と思い込んでいるところです。
まさにこの通りで、だからこそ「自分たちが国民を啓蒙する」という発想につながるのでしょう。
リベラルは全体主義との親和性が高いことを伺わせます。
日本式リベラルについて、著者はこう説明します。
>外国人の思い通りの世界を「理想」として思い描き、日本に古来ある思想や文化を貶めることにより、自分たちの思想にまでしている人たち
言いえて妙だと思います。
またポリティカルコレネクトについての問題点も指摘しています。
>「マイノリティや弱者が常に正しい」という「原理主義」や「無謬性」にとらわれがち
>「リベラル以外の政治的な言葉や思想」を目の敵にし、(中略)自らに都合の良い「平等な社会」を作り上げようとして、
についても同感です。
排他性の強さ、非寛容なところ、なにより世界をひとつの思想・文化に染めようとする全体主義的なところが問題ではないかと考えてしまいました。
もう少し懐が広ければいいのに、とか思ったり。
リベラルの問題点を考えたいひとのために!